一筆法話80
『自然に満足』(じねんにまんぞく)
最近二度目の結婚をしたS君が、夕食をご馳走したいからというので、喜ん
で訪ねた。奥さんの手料理が美味しく和気あいあいと楽しんでいたが、そのう
ちにパソコンの話になり、徐々に雰囲気が変わってきた。
S君「和尚さん、今度買ったパソコンはすごく性能が良くて早く動くんですよ」
私 「あ〜そう、うらやましいな。私なんか古いのをずっと使っているんだよ」
奥様「もう、この人ったら次から次に買うんですよ。お陰で家計のやりくりが
大変」
S君「おい、そういう言い方はないだろう。俺がパソコンを買うのは、会社で
仕事をするために必要なんだ、余計なことを言うな」
奥様「あ〜らそう、じゃあこの前買ったカーナビは何の役に立つの?地図を見
れば済むことなのに、今すぐ必要でもないのに買うのは衝動買いでしょ
う。家のローンだって苦しいのに、あとさき考えずに買うんだから」
S君「お、和尚さんの前でなんて事を言うんだ。お前だって毎月高いエステに
通って、人の倍もご飯を食ってれば意味ないじゃんか!」
奥様「へ〜え、美しくなるのが無駄だっていうの。こんな私に結婚してって頼
んだのはあなたよ!」
S君「だ、黙れ!」
私 「あっ、用事を思い出した!では急ぎますので失礼、ご馳走さん!」
S君が三度目の結婚をしたとは未だ聞いていません。
夢窓国師(むそうこくし=一二七五〜 一三五一鎌倉末・室町初期の臨済宗の
僧)が足利尊氏の弟、直義の質問に答えられたものがまとめられて『夢中問答』
(むちゅうもんどう)という本になっている。その中で一番最初の問答に、
『福を求むる欲心をだに捨つれば、福分は自然に満足すべし』
(ふくをもとむるよくしんをだにすつれば、ふくぶんはじねんにまんぞくすべし
という国師の答えがある。かいつまんで言えば、
問「衆生の苦しみを取り除き、楽を与えるのが仏の慈悲であるのに、どうして
仏教では幸福を願うことを抑えるのですか」
答「世間で商売や農家、職人や芸術に携わったり、サラリーマンなどさまざま
な人の生き方を見れば、一生苦労の連続で本当に幸福な人はあまりいない。
それは与えられた現実の自分に満足せず、欲望のために腹を立てたり、人
を恨んだりして却って福から遠ざかるからだ。だから仏教は幸福を求める
なという教えではなく、先ず充分に足りている自分を自覚することなのだ。」
人間の心はどんどん物やお金、尽きない欲望へ走っていく。五十年前、百年
前の人々は現在に比べたら便利ではない時代に生きていたが、不幸だったろう
か。あまりに豊かな生活の中では昔のように「生きるために食べる」といった
欲望に代り、まさに破壊的な欲望がはびこり始め、自分の満足や快楽だけを追
及している人が多い世の中になってきている。