一筆法話79
『巧言令色』(こうげんれいしょく)
老婆が言った。
「和尚さん、わたしゃ淋しいんですよ」
「どうして?」
「この前、家の台所のテーブルの上にケーキがあったんですよ。それで夕食が
済み、そろそろケーキが出るのかな、と思いながら待っていても食べる気配が
ない、明日食べるのかなと部屋に帰ったら、暫くして孫がケーキと紅茶を私の
部屋まで持ってきたんです」
「それは良かったね」
「いやいや違うんです。息子と嫁と孫は台所で一緒に楽しそうに食べているん
ですよ。その声を聞いていたら何だか淋しくなってね。そりゃあ、息子も孫も
結構やさしくしてくれるし、嫁も嫌な顔をせずに普通の話はしてくれるんだけ
ど、何だかわたしゃ人数に入れてもらっていないようで、淋しいんですよ」
日本では長幼の序や敬老などの言葉が有るが、統計によれば以外にも一人で
暮らしている独居老人より、三世代家族の中で暮らしている老人に自殺者が多
い。雑踏の中の孤独という言葉を聞くが、社会の中で最も小さな集まりの単位
である家族、その関係の中で気苦労や苦痛を感じている人が多いということだ。
いっそ親密な人間関係のない生活の方が悩みも少ないということだろうか。老
婆は息子夫婦や孫に囲まれながらも存在価値を認められていないことに淋しさ
を感じているのである。美しい言葉で、
「お婆ちゃん、いつまでも元気で長生きしてね」
と優しい言葉をかけられても、それが口先だけの上手であれば、かけられた当
人の孤独感は深まるばかりである。人は心で生きている。だから老婆の心は本
当に大切にされているのか否かがわかるのだ。
佐賀県多久市には恭安殿(きょうあんでん)という重要文化財の孔子廟があ
る。四代目邑主(ゆうしゅ=領主)の多久茂文が東原庠舎(とうげんしょうし
ゃ)という儒教教育の爲の学舎を建てたのに始まり、士農工商に広く門戸を開
放した。多久の農民に道を訊ねると、行き先を示さずに人の生きる道を教えた
という言い伝えがある。そして、多久の雀は論語をさえずるという伝説もある
ほどだ。私の祖父は多久市の出身である。幼い頃、祖父が私を背中に負いなが
ら口ずさんでいた「コウゲンレイショク、スクナイカナジン」という呪文のよ
うな言葉の意味を知ったのは十七、八の歳になってからである。
「巧言令色、鮮矣仁」(巧言令色、鮮し仁=こうげんれいしょくすくなしじん)
は『論語』の中でも殊に有名な言葉だ。口先ばかりが上手で、表面上の愛想ば
かり良い人は他の人に対して慈しみやいたわりの心が少ないという意味だ。し
かし口が上手で愛想がいいのは結構なことではある。いつも角突き合わせてば
かりでは生きられないから、優しい顔、優しい言葉は必要なのだ。だが、これ
が習い性となると何時も表面だけのことで済ませてしまうから相手が誠意を感
じなくなる。現代は、こういう巧言令色を駆使するような人が「やさしい人」
ということで持て囃されるらしい。