一筆法話69

『諸行無常』(しょぎょうむじょう)



 寄る年波には勝てず、とうとう老眼鏡を使うこととなった。眼鏡店で店長と
いう人に聞かれた。

「あの〜あなたはお坊さんですか」

「えっ、このツルツル頭が坊さんに見えなきゃ一体何に見えると言うのですか」

「す、すみません。決して悪気があってお聞きしたのではないのです。実は、
私はあと数年もすれば定年を迎える年齢になりまして、最近は自分の人生につ
いて考えることが多くなりました。定年後の再出発を色々と思案しているうち
に、坊さんにでも成ろうかなと考えるようになったものですから」

「ちょっと待ってくれ、坊さんにでも、とはどういう言い種かね。坊さんにで
も、というのは私に対して失礼だよ。こんなアホな顔になるまでには、色々苦
労があったんだ。大体、あなた方がバブル時代の好景気で浮かれている時も、
私達は修行道場の中で沢庵のしっぽをかじっては児童福祉法、ん?いや労働基
準法を無視されて励んできたんですよ。もちろん修行時代は給料なんか貰って
ませんよ。それなのに景気が悪くなったからと、楽そうに見える坊さんにでも
‥はないでしょう」

「あっ!ま、間違いました。そういう意味じゃなくて、人間の生と死について
この頃は考えさせられましてね。和尚さんは『葉っぱのフレディ』という本を
読まれましたか。あの本に感動して人生について考えているからなんです」

「そうですか、まだ読んでいないからそのうちに読んでおきます」

 眼鏡店の帰りに本屋に寄って『葉っぱのフレディ』を買おうと思ったが、お
金が勿体ないので立ち読みした。いや実は買うほどのことはないので買わなか
っただけである。しかし大手新聞のコラムや記事に毎日のように『葉っぱのフ
レディ』が賛辞とともに載っているのは知っていた。それが中年のサラリーマ
ン諸氏に読まれていることも‥。私は機会がなかったので手にすることはなか
っただけだ。

 『葉っぱのフレディ』はアメリカの哲学者、レオ・バスカーリアという人が
生涯に一度、子供向けの哲学の本を書きたいという願いで出来た本である。大
木の枝に生まれた一枚の葉っぱが主人公で、フレディという名前が付いている。
夏には友人達と一緒に多くの人々の為に緑陰を作り、葉っぱとして生まれたこ
とを誇りに思うが、秋になり、やがて自分がこの世から去っていかなくてはな
らないと悩み、苦しむ。しかしこの世は変化し続けるということを悟り、死も
変化することなのだと安心する、といった内容だ。

 非難囂囂を恐れずに言えば、今の働き盛りのサラリーマンは「ばっかじゃな
かろうか」と思った。たわいもない絵本なのだ、『葉っぱのフレディ』は。人
間として生まれてきて、移ろい往く自然や、周りの人々がこの世を去り逝く姿
を観ていれば、何も子供の読む絵本を見て感動しなくても、その年令まで生き
ていれば自分の過ぎ来し方を振り返り、この本に書いてある事位は人生観とし
て確立しているべきである。幼い、本当に幼い、と思うのは私だけだろうか。
日本人なら大多数の人が知っていたはずの『諸行無常』(すべてのものは移ろ
いゆく)という言葉は単にお経の中の言葉となってしまったのだろうか。




説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp