一筆法話68

『謂之仁』(これをじんという)



 仏教的なものの見方に「一水四見」という言葉がある。魚にとって水は住む
家であり散歩する道であり、命を保つところである。天上界からこれを見れば
瑠璃などの宝石に飾られた場所に映るという。逆に地獄に在る者から見れば池
や川の水は、膿や血で一杯になった池や川になる。人間が川や池を見れば、流
れ行く水のせせらぎや水面の波紋や打ち寄せる浪と見える。これは何を説明し
ようとしているのかと言えば、同じ「物」を見ても見る者の心の状態によって
違うように見えるということである。

 以前、酷寒の時期にタオルを頬被りして街を歩いていた。背すじを伸ばしキ
リッと歩く私を見て数人の女子高生が身体をくねらせクスクス笑って通り過ぎ
て行った。今度は六〇代のご婦人が何を思ったのか、

「自分のマフラーをあげるから持っていけ」

と言われた。きっとマフラーも買えない哀れな坊さんと映ったのであろう。勿
論ありがたく戴いた。又、顔がそのように見えるのか、酒が時々舞い込んでく
る。これまた有り難く戴いているが、名だたる銘酒となれば、事の外であるが
それを何も知らずに家人が全く頓着なく料理に使っているのを見たりすると、
何でも良いとはいえその酒のためにいささかムッとする。「酒の一滴は血の一
滴」という程の人にとっては、「万死に値する」のではないか。

 岐阜県の大垣市の近所で、「かぶと虫」の自動販売機があるという。デパー
トなどよりは少し安くしてあるから、シーズンになると親子連れなどで買いに
来るそうだ。あるテレビ番組でのこと。東南アジア系のテレビのリポーターが、
日本には「かぶと虫」の自動販売機があるということで取材し、これは世界で
も例がほとんどない珍しい商売だということを盛んに言っていた。私は、日本
人の商売に対する道徳心や、動物愛護の精神が希薄だという証拠を見せつけら
れるのかと思って見ていたが、その女性リポーターの結びの言葉は、

「ちなみに、私たちの国ではかぶと虫は調理して食べます」
だった。

 物の見方は千差万別、『槐安国語』のなかに、
「仁者見之謂之仁 智者見之謂之智」

(仁者は之を見て之を仁といい 智者は之を見て之を智という)

という語があるが、世間で言う
「所変れば品変る浪華の芦は伊勢の浜荻」
というのと同じで、大阪で芦と言っているものは伊勢では浜荻と言う如くに同
じものを呼ぶにも違う名前が付いている。ヨシだアシだと呼んでも、その「物」
の本質は変わらない。禅の修行では「物」の本質を直接見ていくことを要求さ
れる。見る者の心の状態には関係なく「物」の本質に迫らねばならないからヨ
シと呼んでもアシと呼んでも間違いである。

「あなたのお母さんはどういう方ですか」

と訪ねられて返答に窮するようなものである。ところで、あなたは毎朝顔を洗
い、顔を鏡で見た時に自分を何と見るのか?



説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp