一筆法話61

『為父隠』(ちちのためにかくす)


 平成十年正月二日。愛知県のT市で九十六歳になる老婆が、六十三歳の息子を腰ひもで絞め
殺したその後、自分も死のうとしたが、果たせず警察に捕まった。六月二十四日、一審の判決
は懲役三年だったが、弁護側は九十六歳という高齢者に懲役刑は重すぎるとして上告し、又市
民運動の署名集めも一万人分となり、十月一日名古屋高裁での二審判決は、「息子を殺し自分
も死のうとした行為は強い愛情の発露」として懲役三年、執行猶予四年が言い渡された。

 老婆は、六十三年前、自転車に乗っているとき転倒した。その時背負っていた生後六ヶ月の
息子は、成長するに従い知的発育が遅れ、小学校を卒業するころには重度の知的障害と認定さ
れた。母親は自分のせいであると、自身を責め続けたという。息子が三十六歳の時、施設に預
けたが、月一回の面会日には必ず会いに行き、盆と正月は帰省させて面倒を見続けた。やがて
六十歳を越えた息子を特別養護老人ホームに預けたが、やはり面会日には電車やバスを乗り継
ぎ約二時間かけて会いに行き、半日ほど一緒に過ごしては帰った。九十を越え、体力の弱った
身には自分が死んだらこの子が他人に迷惑を掛けるという一心だけが残った。ついに意を決し
て一緒に死ぬことにした。
「お母さんと一緒にお父さんのところに行こうね‥‥。」
最後に二人で食べた食事はカップラーメンだったという。

 私はこのニュースを知った時、胸が塞ぎ言葉が出なかった。こんなにも豊かな社会が在るの
に・・・。きれいな着物で我が身を飾り、肉を食らい、酒を呑み、仕事は大勢で、御馳走は小
人数で、他人が何を食おうが何を飲もうが知ったことじゃない。ましてや他人の心の痛みなん
てどうでもよい。どうせ死んだらお終いさ、生きてる間に自分を可愛がるだけさ、と思ってい
るから、今夜はすき焼きかビフテキか、はたまた懐石かなどと考えながら、口では素知らぬ顔
で暖かい優しい言葉をかける。それでお義理の役目は終ったとしているから、お優しい、御立
派な方と言われることを当然としている。六十三年間自分を責め続け、自分一人で責任を取ろ
うとした老婆に人は一体何が言えるのだろうか。もし言うとしたら、どういう顔して何を言え
るのだろうか。

 『父為子隠子為父隠』
「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す」

と孔子は言っている。昔、孔子が或る村を訪ねた折、村の長老がうちの村は正直者ばかりで、
父親がもしも羊を盗めば、子供が正直に申し出るのです。と言ったら、それは違う、本当の正
直というのは、父が羊を盗めば子はそれを隠すものである、それが親子の真情である、と諭し
た。殺された息子はあの世できっと、
「お母さん、六十三年もの長い間面倒見てくれてありがとう。お母さんの手が一番優しかった
よ。お母さんの声が一番好きだったよ。お母さんの料理が一番美味しかったよ。どうか皆さん、
わたしのお母さんのことを悪く言わないで下さい。」と言っているに違いない。老婆は二審の
判決後自宅に戻り、半月ほど後、この世を去った。


一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 生万物
63 至菩提
64 北枝寒
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp