一筆法話57

『到遼西』(りょうせいにいたる)


 博多の光国寺に弟子入りして間もない頃、
「お前、Sさんの家へ枕經(まくらぎょう)に行ってきてくれ。」
「私がですか。枕經って、あの死体を前にして読むお経ですか。」
「そうじゃ。ご主人が四十五歳の若さで亡くなったんじゃが、わしは外せない用事
があって、どうしても行けんので、お前が代りに読んできてくれ。」
「いやです。枕經なんて読んだこともないし、自信がありません。」
「馬鹿もん、自信があろうが無かろうがSさんの家では待っているから、すぐに行
ってこい。」

 私はしぶしぶ衣に着替えて出かけて行った。師匠に教わった作法通りにお経を始
めた。後ろでは奥さんの嗚咽が聞こえる。小学校六年生と四年生の姉妹も泣いてい
る。お爺さんもお婆さんも涙を流している。私は、途中でお経が読めなくなってし
まった。しかし、家族の方は丁寧に私を送りだしてくれた。

 それから急にSさんの奥さんは私のことを修行時代の呼び名で
「渕(えん)さん、渕さん」

と親しく呼ぶようになり、私も、お寺をこっそり抜け出してはお茶を飲みに行くよ
うになった。
「あのね、渕さん。今日娘の授業参観に行ったら、近所の奥さんが
『奇麗な洋服でどこへ出かけるの。』
って嫌な目つきで聞いてくるのよ。きっと内心は、
『あの奥さん、一周忌も済まんのに、もう化粧してどこかへ出かけて行く。いい人
でもできたのかねえ。』
という噂に違いないのよ。」
実際にいろいろと噂があることは知っていた。しかし、あの枕經の時の純粋な涙を
知っている私は、奥さんを励ました。
「人の目なんか絶対に気にしたらいかんよ。近所の人に食べさせてもらっとる訳や
ないし、自分が後ろ指をさされんと思ったことは堂々とやったらいいやないか。み
そ汁にバター入れて食べたって、誰に迷惑かける訳じゃないし、負けたらだめやな
いか。」

 『打起黄鴬兒 莫教枝上啼 啼時驚妾夢 不得到遼西』

「黄鴬兒(こうおうじ)を打起(だき)して、枝上に啼(な)かしむることなかれ、
啼く時、妾(しょう)が夢を驚かして、遼西(りょうせい)に到(いたる)を得ざ
らしむ」

という詩がある。鴬を起こして枝の上で鳴かさないで‥鳴けば、遥か遠い遼西の地
にいる夫との、出会いの夢が覚めてしまうじゃないの、という意味である。誰がこ
の婦人の心中を察することが出来ようか。婦人以外には決して解らない心の中をな
ぜ、他の人が推し量ってしまうのか。どうして、他の人の考えで、自分の生き方を
変える必要があるのか。まことしやかに言っては喜ぶ、下種(げす)の類(たぐい)
に自分が振り回されてはならない。小学生だった姉妹も今では、それぞれに自分が
高校生を持つ親になっている。どうか自分の心に恥じないように生きていって欲しい。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp