一筆法話50

『世上人』(せじょうのひと)


 法事の席で毎度のように交わす会話がある。
「和尚さんは、そんなに太っていても修行をしているから正座しても足がしびれないんですね。」

「いやいや、この体重だからしびれない訳がないでしょう。しびれてしびれて、お経が終ったら
どうやってみっともなくないように立ち上がろうかと思案しては心が千々に乱れてるのさ。そこ
で線香やお供え物を直すふりをしながら、足をほぐしておいておもむろに立ち上がるのさ。」

 医学的にいえば、正座は老人の足には特によくないそうである。血液の流れは止まるし、膝に
負担をかけるから、なるべく正座はしない方がいいと、テレビで言っていた。しかし、正座自慢
という人がいる。

「私ゃね、一日中でも正座ができるんですよ。もう、あぐらなんか絶対いやでね、日本人は正座
に限りますね。」

そういう時は、「あ〜そうですか、それは良かったですね。」と言うほかはない。少なくとも私
は正座よりも坐禅のほうが長時間おなじ姿でいられる。背筋も坐禅のほうがぴんと伸びて気持が
いい。法事の折、昼食(正式には御斎=おとき、と言う)になればすすんで坐禅を組む。それを
知らない人は、和尚さんもあぐらをかいて食べてる、と思っているふしがある。

 作家の秦恒平氏が、「日本経済新聞」に書いておられた。

「天子も公家も武士も女も僧も神様も仏様も、古来、正座などしてこなかった。(ー中略ー)正
座というと茶の湯と、反射的に思う人が多かろう、が、利休の画像や彫像の遺例はみな正座など
していない。利休が正座をして茶をたてた例がかりに有ったにしても、禁中で天皇に捧げたとき
ぐらいで、おそらく秀吉の前でも浅いあぐらか軽い立て膝であったろう。(ー中略ー)元禄時代
ごろから、やっと日本人の生活に正座が定着したのは、衣服や家屋の変化、ことに厚畳の普及が
ものを言ったのだろう。徳川という近世支配が、いわゆる土下座に正座の名を与え‥‥云々」

正座の歴史は、「紀元は二千六百年」の日本の歴史から見れば最近流行りの社交ダンスのような
ものであると思い、嬉しくなった。

 「科頭箕踞長松下 白眼看他世上人」

「科頭(かとう)にして箕踞(ききょ)す長松(ちょうしょう)の下(もと)、
       白眼(はくがん)にして看(み)る他(か)の世上(せじょう)の人(ひと)」

という唐の詩人王維(おうい)の詩がある。
科頭というのは冠を被らなかったり、頭を束ねないこと。箕踞というのは両足を投げ出して座る
こと。これは竹林の七賢人の阮籍(げんせき)の事を言った詩である。彼は皆と同じようには冠
や頭巾を被らないし、気に入れば普通の眼で、気に入らない俗人には白目をむき出して見た。現
代では、正座を強要する場所には若い人は出たがらない。まして、正座することに価値を認めな
い。価値を認めないものに苦痛を強要しても意味がない。世の中のルールも程々にしないと、お
互いが楽に生きるためのルールが、我慢比べになったり、自慢比べになったりする。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp