一筆法話49

『夜来雁』(やらいのかり)

 平成八年春。山梨県の布教に派遣されることになり、そのために京都の本山で研修会があった。
或る先輩の布教師さんから、

「道樹寺さんはどこへ行くのかね。」

と、尋ねられた。
「はい。山梨へ一ヵ月間行くことになりました。」

「そうか、山梨か‥‥。大変でしょうが、山梨県側から見る富士山は、また格別の眺めだから楽し
んでおいで。ところで、富士山の高さは知っているかね。」

「はあ、三七七六メートルだと思いますが、それが何か‥‥。」

「いやいや、山梨ではそうは言わんのじゃよ。三七七六だから『ミナナム』と読んで『皆、南無』
と言うんじゃよ。山梨の人は朝起きるとまず、富士山から昇る朝日に手を合わせるということじゃ
よ。」

「それは良いお話しを聞きました、有り難うございました。」

 甲府市内から廻り始め、二十日ほど過ぎた頃、ふと出発前に本山で聞いた『ミナナム』という話
を思いだした。ちょうど富士五湖の近くの忍野村という所であった。、眼前には見事に眩いばかり
の霊峰富士がそびえ立っていた。ここは一つ富士山を誉めて‥‥と、
「皆さんは、朝な夕なに『ミナナム』と富士山を拝み、富士山と共にお暮しで、誠に信心の毎日を
過されているとお聞きしました。素晴らしい山があってお幸せですね。」
と挨拶をした。その時、聴衆の方の笑顔が一瞬こわばったような気がした。

 やがて法話も終り控え室に戻ったところで、そこの和尚さんに訊ねた。

「先ほど富士山の高さに掛けた『ミナナム』ということを言った時、皆さんがあまり嬉しくないよ
うな顔をされたようですが、私に何か落度でもあったのでしょうか。」

「あ〜、あのお話しですね。いやあ、布教師さんは富士山のない生活をしておいででしょう。とこ
ろが私たちは毎日富士山を見て暮らしています。あまりに近くにありすぎて目に入ってこないので
すよ。それに富士山の真下で暮らしているものですから、吹き下ろしが大変きつくて冬は永久凍土
のようになり作物が何も育たないのですよ。北海道のような気候なんです。だから、山一つ越えた
静岡県では冬でも野菜が豊富に獲れますが、こちらでは何も育たないのです。そういうことで、こ
この土地の人は、

『もしも富士山がなければ楽に暮らせるのに』という思いがあるからなんですよ。」

 私は、納得し、
「不因夜来雁 争知海門秋」

「夜来(やらい)の雁(かり)に因(よ)らずんば
争(いかで)か海門(かいもん)の秋を知らん」

という言葉を思いだした。夜、鳴いて飛んで行く雁の声を聞いてこそ、始めて海門の地にも秋が来
たのだなあ、としみじみ実感できるのである。見ても聞いてもいないのに、さも自分が体験したか
のように言えば、実際に体験した本人が聞けば、ちゃんちゃら可笑しいのではなかろうか。


一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp