『明月夜』(めいげつのよる)


毎年、道樹寺には、大晦日の除夜の鐘を撞きに来る人が大
勢いる。日本人の郷愁というか、なんとなく一年の垢落と
しのご利益がありそうな気になるらしい。お寺によっては
甘酒やうどんを振る舞って盛大に行事をやって撞かせてい
る所もあるようだ。百八の鐘というが、百八名以上の人が
撞きに来たらどうしているのだろうか。
数珠の数を百八個にしたり(半数の五四個やその半数の二
七個もある)、インドでは神々の名を百八連ねたり、東日
本では新盆に百八の松明を灯す風習も残っている。百八の
有名な説明としては人間の煩悩が百八あるからという説と、
一年を十二に分けた一二ケ月と立春、秋分、冬至など二四
に分けた二四節気、そして七二候という分け方をした数を
合わせれば百八になるという説とがある。どちらにしても、
あまりはっきりした説明のある本は見当たらないが、除夜
の鐘と言えば、多くの人は百八の煩悩のことを思う。
しかしながら毎日の新聞を見てもいろいろな煩悩が紙面に
踊っており、とても百八の種類には分けられない。人間の
煩悩は無尽である。尽きることがないと経典にも書いてあ
る。百八という数にとらわれてそれ以上は絶対に撞かせな
いというお寺があるとすれば、個人的にはナンセンスだと
思っている。多分、百八という数に執着している根拠は、
人間の煩悩は百八しかないと思っておられる、厚かましい
人ではないかと想像するからだ。だからどうせ撞かせるな
ら二百でも三百でも気の済むまで撞かせればいいと思って
いる。もっとも撞きすぎて大鐘が金属疲労で割れるという
心配もないではないが…。
「可惜年々明月夜 漁家只作旧時看」
「惜しむべし年々明月の夜
         漁家は只旧時の看をなす」ー(詩格)
年々、月は同じ姿で現れる。その月を見て漁師は漁を判断
するが、いつもいつも同じ月だと思って本当の月そのもの
が何であるか、漁師は気にもとめない。私たちもまた、こ
の漁師を笑えない。一年はあっという間に過ぎて、
「あっ、もう十二月なのか。」
ということになり、年賀状書きに、掃除、おせち作りに、
松飾り、そして床屋へと段取りが決まっている。そしてお
寺の鐘が「ゴ〜ン」と鳴る。まさか本当に煩悩が滅すると
思っている人もいるまいが、何のことはない、十二月が来
たからお寺も撞いているだけである。昔、一休禅師が、
「正月は冥土の旅の一里塚、
          めでたくもあり、めでたくもなし」
と、杖の先に髑髏を付けて町を練り歩いたというあまり信
用できない話が伝わっている。しかし、この真意が解らな
ければ、正月だけでなく年中めでたい、惰性で人間やって
いる人である。とは言うものの、暮になるとお寺の忙しさ
を恨めしく思い、炬燵に入ってミカンでも食べながら一年
の無事を喜び、心静かに除夜の鐘の音を聞きながら新年の
夢に浸ってみたいとも思う。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

ホームページへ戻る

案内所へ戻る

道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp