『思鱸客』(ろをおもうのかく)


「法華経」という経典の中の「譬喩品」(ひゆぼん)に、

三界は安きことなし、猶(なお)火宅(かたく)の如し
衆苦充満して、甚だ畏怖(おそる)べし
常に生、老、病、死の憂患(うれい)あり
是の如き業の火、熾然(しねん)として息(や)まず

という言葉が出てくる。人生はめらめらと燃えている火宅
のようなもので、人々の苦しみが満ちあふれて恐ろしいか
ぎりである。その苦しみの代表的なものが生まれる苦しみ、
老いる悩み、病気になる苦痛そして死に行く恐怖。これら
の人間の苦は生きている限り赤々と燃える炭火のように消
えることはない。
生まれてこの方、何の苦しみも味わったことのない人はい
ないだろう。それどころか、どうして自分だけがこのよう
に苦しまなければならないのか、という思いが強い人ばか
りではないだろうか。現実に私の廻りを見渡しても泣いて
いる人が何人もいる。旦那さんに苦しんでいる人、子供に
苦労している人、会社で、又学校で泣いている人。ノイロ
ーゼと闘っている人。不治の病に茫然としている人。何も
新聞やテレビの世界ではなく、現実に私を含めた回りの人
々である。
「江上思鱸客 人間失馬翁」
「江上鱸を思うの客 人間馬を失するの翁」
という言葉がある。
張翰(ちょうかん)という人は秋風が吹くのを見て、幼い
ころ食べた鱸(スズキ)のなますや蓴菜(じゅんさい)の
吸い物などが食べたくて大臣の仕事を辞めて故郷に帰った。
また、塞翁(さいおう)という人は飼っていた馬が逃げて
歎いていたが、その馬が北方の駿馬を率いて戻って来た。
喜んで馬に乗ろうとした息子は落馬して足を折ったが、そ
のために兵隊として引っ張られず、命が長らえたという故
事である。
張翰は意のままに人生を送りたいと願った。そして、自分の
故里へ帰って行った。しかし、張翰が毎日スズキを食べて幸
せだったかどうかは解らない。例え意のままに人生を送れた
としてもそれは一場の事である。塞翁は災難と幸福が入れ代
わり訪れた。それも人生の一場の劇である。人生は吉凶・禍
福が予測できない。いいこともあれば悪いこともきっと起こ
る。確実に言えることは、その一場の劇の主人公は私自身で
あるということ。わき役は一人もいない。お釈迦さまは人生
は苦であると言われた。しかし、その苦しみは解決できない
とは言っておられない。いろんな人生があるが、本当に仏教
徒で良かったと思えるように、今一度お釈迦さまの言葉に耳
を傾けて、いい主人公の役をやってみようではないか。

一筆法話

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01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp