『無慚色(はずるいろなし)』


先日、或るところで観音さまの石像に苔が生えてきたから、
束子(たわし)で洗っても罰が当たることはないでしょう
か。という素朴な質問を受けた。私は、
「罰が当たるような観音さまだったら、必要がないので取
り外したらどうですか。」と、
物騒な答え方をした。少々激しいことを言ったかも知れな
いが、観音さまは罰を当てるためにこの世に姿を現すので
はないと名誉挽回の話をした。観音さまのことについては、
『今この娑婆(しゃば)に示現(じげん)して 生きとし
生ける者のため 大慈大悲の手を垂(た)れて 種々に済
度(さいど)をなしたもう』
と「観音和讃」に説いてある。観音様に罰が当てられるよ
うでは、近づかないほうがいいに決まっている。近くにそ
ういう観音さまが居れば、立ち退きを願いたい。生れてこ
の方、私たちは愚かなことを繰り返して生きているが、そ
ういう私のような愚かな迷える者たちを一人一人救ってい
くのが観音様の仕事である。
逆に言えば、愚かな私たちがいるからこそ、観音様がこの
世に姿を現すのである。自分は賢いし、間違いもやらない
と思っている人には観音さまは必要ない。少しくらいやま
しい心が有ったとて何も怖がることはないと思う。それど
ころか
「私は何もやましいことはしていない」
と、誰はばかることなく、しゃあしゃあと言ってのける人
こそ笑止千万、厚顔無知である。
心にやましいことがない人はほとんどいない。他の人は知
らなくても、自分だけは知っている。だから、仏様の前に
出ると自信がない。自信がないから、
「触らぬ神に祟(たた)り無し」
と決め込んで、遠巻きに拝むだけである。
「観音」というのは「観世音」ということであって、世間
のどんな小さな音も見逃さないで、生きとし生ける者のた
めに働くということである。絶対に人に見つからないとい
うような秘め事も観音さまにはお見通しである。何もかも
ばればれなのである。そう考えると、恥ずかしくて時々は
一人で赤面する、というのが本当である。ところが最近の
信仰家の人たちは自身たっぷりの方がほとんどで、恥じら
いや躊躇(ちゅうちょ)いというものを感じさせない。自
分こそは王道を歩む正義の使者であるというような顔をし
て自分の信仰を押し付ける。観音さまの石像の苔を落とす
ことで悩むのは人間らしく素朴で可愛いと思う。
「心不負人面無慚色」という言葉が有り、
「心、人に負(そむ)かざれば面(おもて)に慚(は)ず
る色なし」と読む。
心に慚愧(ざんき)の念がなければ人に対して顔色が変わ
らない、ということである。しかし、他人には知られたく
ない心の痛みを持つのが人間。やはり顔色が赤くなったり
青くなったりして、
「馬鹿だな、俺は……。」
とつぶやき、夜中にこっそり布団を被って人知れず赤面す
る。そうすると不思議に、観音さまはそれを聞いて許して
くれそうな気がする。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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