『斑斑色(はんぱんのいろ)』


禪宗のお寺では朝の勤行が終れば、必ず最後に五体投地
(ごたいとうち)といって、跪(ひざまづ)いて体を投げ
出し、額を畳の上に付けて仏さまの御足を両手で戴くとい
う「拝」を三回することになっている。瑞龍寺で修行して
いた頃の、平成二年四月五日の未明のことである。一緒に
修行していた仲間が三回目の拝を了えてもなかなか立ち上
がらなかった。
咄嗟(とっさ)に私は彼のところに駆け寄った。次の瞬間
慌てて、電話口まで走り、救急車を呼んだ。救急車が来る
まで五分ほどだったが、その間、他の修行仲間が心臓マッ
サージをしていてくれた。しかし、救急隊員は絶望的な言
葉を口走った。
近くの病院まで運んでくれたが、すでに呼吸も心臓も停止
していて、医師は臨終を告げた。私や他の修行仲間達は茫
然とその場に立ち竦んでしまった。私はその時、知客寮
(しかりょう)という修行僧を統括する役目だったので、
この事を彼の両親に伝えなければならなかった。どういう
言葉で伝えていいのか苦しかった。
三重県南島町の漁師町にある片山寺というお寺から修行に
来た彼は、背が高く、素朴な青年だった。足が飛び出るの
で、彼のために柏(かしわ)布団(修行僧は夏でも冬でも
柏餅のように、一枚の布団を二つに折り、その中に潜り込
んで寝る)を作り直したほどである。
「何を食べるとそんなに背が伸びるのか」
ときいたら、彼は、
「うちの母が、ご飯を沢山食べないとうるさかったので。」
という返事だった。彼はお経を知らずに入門してきたので、
九時の消灯以後、本来なら夜坐といって夜中の十一時、十
二時頃まで外へ出て坐禅を組むのだが、特別に東司(とう
す=便所)の入り口の小さな灯の下でお経を覚えさせた。
季節は巡り、二年の月日が過ぎる頃に彼は逞しい修行僧と
なった。
「莫嫌襟上斑斑色 是妾灯前滴涙縫」
「嫌うことなかれ襟上(きんじょう)斑斑(はんぱん)の
色 是れ妾(しょう)が灯前涙(なんだ)を滴(た)れて
縫(ぬ)う)」
という言葉がある。婦人が遠征中の夫に衣服を送るのであ
るが、新調とはいえ襟元(えりもと)には斑点がぽつぽつ
と着いている。しかしこれは、異境の地にいる夫の無事を
願うあまりに、涙の滴(しずく)とともに縫い上げたもの
であるから、いやな顔をしないでおくれ。という意味である。
彼の死は痛恨の極みであった。彼の死によってこれからの
人生をへらへらと楽しんで生きることなど出来ないという
思いが心中に一杯となった。何故なら私はいつも彼に言っ
ていた、
「人の痛みがわからん坊さんに成るくらいだったら辞めな
よ」…と。
やがて、私も死ぬ時が来る。その時には、志し半ばにして
逝(ゆ)かねばならなかった君の思いを聞いてあげたいと
思った。昼が随分過ぎたころ、彼の両親が瑞龍寺に到着した。
初めて彼のお母さんの顔を見て、この方が彼の着物や作務衣
(さむえ)を縫ってくれたのだと思ったら、泣けた。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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