『忘 却』(ぼうきゃく)


五年前の十二月に、祖父が亡くなった。瑞龍寺で修行して
いた頃で、折しも一年の大詰めであり、禅宗の道場ではち
ょうど修行の総決算期にあたる、臘八(ろうはつ)の大接
心(おおぜっしん)といって、八日間を不眠不休で坐禅に
打ち込むという大修行に突入するところであった。
元来修行道場では師親の一大事といって、師匠、または両
親の大事以外は途中で道場を抜けることは許されない。ま
してや修行の仲間たちが一年間、待ちに待って修行に臨も
うとしているときに一人でも抜けては全体の意気が挙がら
なくなり、迷惑を掛ける。
可愛がってもらった祖父だったから悲しかったが、帰らな
かった。帰る雰囲気ではなかった。二十代の頃、九州の久
留米、梅林寺で修行していたとき、大分から来ていた禅さ
ん(泰禅という名前だが、禅寺では名前のあとの一字だけ
を呼ぶ)のお祖母さんが亡くなったという知らせが来た。
禅さんは、にこにことして、
「帰らないよ。帰っても、婆さんが生き返るわけじゃある
まいし」
と言っていた。しかし、私は彼が東司(便所)の中で泣い
ていたのを見てしまった。今の若い人は笑うかもしれない
が、私の経験した修行には悲愴感があった。
制中といって、五月から七月までの三ヶ月と十一月から一
月に至る三ヶ月間は前述のように師親の一大事といって修
行を中断して娑婆世界に戻ることを禁止してある。それが
大義名分ではなく本当にそうであった。梅林寺は、久留米
駅の近くにあり、夜半、黙々と坐禅を組んでいると駅のホ
ームからアナウンスが流れてくる、
「間もなく〜三番線より〜寝台特急はやぶさ号〜、東京行
が発車しま〜す」
それを聞いて遠い故郷の父を想い、母を想い、友を想い、
思わずひと時の妄想に耽る。
「十年帰不得 忘却来時道」
(十年帰ることを得ずんば、来時の道を忘却す)
という言葉が寒山詩の中に出てくる。文字通りの意味は、
十年も家に帰れないうちに、来た道を忘れてしまった、と
いうことだが、深いところの意味は、長い間苦心して修行
を続け、お悟りを手に入れたことさえ忘れてしまった、と
いうことになる。味噌の味噌臭きは上味噌にあらず。どん
な職業でも同じだが、私は修行しました、と顔や態度に現
れていては臭くてぷんぷんと臭うから、人は安心して近寄
れない。後輩が、ばりっとスーツを決めて、駅の改札で女
子学生たちとすれ違った時、
「あっ、お坊さんみたいな臭いがする」
と言われ、苦笑していた。そういう物理的なことはともか
く、自ら積み重ねた苦労という名のプライドを忘却するこ
とは難しいことである。その後、祖母、伯母、そして今年
の十一月には伯父の訃報が届いたが、やはり帰れなかった。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp