『這 漢』(このかん)


人間八十年生きたとして、二万九千二百日。百年生きても
三万六千五百日。これを長いと見るか、短いと思うかはそ
れぞれの感じ方である。しかし、明治の頃までは人生五十
年が常識であった。そう考えると明治の人は今の人より人
生の楽しみは半分しかなかったのだろうか。当時の生活は
それなりの緊張感があり、充実していたのではなかろうか。
家庭に仏壇が有るところでは内なかや上に昔の写真が飾っ
てある。それを見てみると写真館の修正があったとはいえ、
きりりと引き締まった個性的な顔の持ち主が多い。それに
比べて現代の顔は、仕事や情報に溢れ、自分に優しい人々
が多いから、ぬるま湯で屁をこいたような顔をしている人
が増えたような気がする。
博多の光国寺に弟子入りした時、ちょうど本堂と庫裏(く
り)の普請(ふしん)をやっていた。毎日のように、お大
工や左官さんや屋ね葺きなどの手伝いをやった。博多とい
うところは、土地柄があっけらかんとしていて、お寺の和
尚といえども口の先で大事にはしてくれない。
あるとき、棟梁(とうりょう)の手伝いをしていたとき、
「その掛け矢を取ってくれ」
と、屋根の上から指差された。掛け矢とは土木工事などで
使う大型の木槌(きづち)である。その掛け矢がわからず
にうろうろしていたら、
「頭と目めん玉は生きとるうちに使わんともったいなかた
い!」
と罵声ばせいがとんだ。次の言葉がある。
『百年三万六千朝 反覆元来是這漢』
「百年三万六千朝(ちょう)、反覆(はんぷく)すれば元
来(がんらい)これこの漢(かん)と」
百年生きてもただずるずると三万六千日を過ごせばそれだ
けの人生であり、それだけの人間であり、それだけの漢
(男)である。いただいた命がもったいない。
吉田松陰(よしだしょういん)は伯父の玉木文之進から塾
を受け継いだ時に、僅か二十五才であった。その塾を松下
村塾(しょうかそんじゅく)として天下に轟とどろかせ、
三十才で江戸の伝馬町の牢屋で処刑されるまで、高杉晋作、
久坂玄瑞、伊藤博文など多くの指導者たちを育てた。三十
年という短い人生ではあったけれども百年生きたような充
実したこの世を満喫したのではなかろうかと思う。
吉田松陰の残した辞世の句は、
よしや身は武蔵の野辺(のべ)に朽(く)つるとも
                 留めおかまし大和魂

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

ホームページへ戻る

案内所へ戻る

道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp