『無南北』(なんぼくなし)


インドのカルカッタを中心に活躍しているマザーテレサは
一九七九年、ノーベル平和賞を受賞した。彼女が取材記者
の質問に答えているのを見て、その内容に聞き入つた。
「貴女は生ける聖者(せいじゃ)と呼ばれていますが、ご
感想を。」
マザーテレサはすかさず答えた。
「人は聖なる者であるべきです。私もそれを心がけている
だけで、聖なる事は特別な事ではありません。選ばれた者
だけが聖者ではありません。聖なるものは人間なら誰もが
目指さなければならぬ義務です。」
何のためらいもなく自然にマザーテレサの口からそういう
言葉が出てきたことに、彼女の宗教者としての素晴らしさ
をかいま見たような気がした。特別に「聖なる人」はいな
いと彼女はいう。しかし愚かな打算的な人間は、特別な選
ばれた人間に成ろうとして、必要以上に権力者に平伏した
り、有名人にすり寄りたがる。
「私は俳優の○○や××と時々食事をするのよ。」
「私は京都の〇〇寺の、××和尚様と親しいの。」
そういう言葉の裏側には、
「あなたと私は違うのよ、あなたよりも格が上なのよ。」
という差別の心が潜んでいる。差別心は結果的にその人目
身が差別されることになる。
中国禅宗の六代目に慧能(えのう)禅師という方がいた。
二十三歳の時、禅の修行を志し、五代目の弘忍(ぐにん)
禅師を訪ねた。みすぼらしい姿をした慧能(えのう)を弘
忍(ぐにん)禅師は試した。
「お前さんはどこから来たのか。」
「はい、南方から来ました。」
「何をしたいのだ。」
「仏になる修行をしたいのです。」
「お前のような南方の山猿が仏に成れるものか。」
これに対する慧能(えのう)禅師の答えが有名である。
『人雖有南北 仏性本無南北』
(人に南北有りといえども 仏性もとより南北なし)
「人は南北で言葉や習慣の違いが有り、和尚と山猿の違い
は有りましようが、断じて仏性(いのちの尊厳)に南北の
別はありません。」
その答えを聞き、弘忍(ぐにん)禅師は慧能(えのう)を
認めた。
人は地位や名誉、財産、姿、形などを見て頭を下げるか、
ふんぞり返るかを判断する。その人の輝く生命を見ようと
しない。また、頭が鋭(するど)いとか鈍(にぶ)いとか
いっても、それは肉体的な特技と同じであり、百米を十一
秒で走るか三分で歩くかの違いだけであり、仏性に優劣な
どあるはずがない。マザーテレサのように、誰に対しても
聖なる仏性に手を合わせて行けたら、世の中少しは変わる
だろうか。

一筆法話

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01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp