『風涼し』


桜の花が咲きほころぶ昭和四十八年四月。本格的な修行を
始めるために私は師匠と近所の人達に見送られて梅林寺僧
堂へ向かった。師匠の奥さんはこれからの修行のことを思
ってか、涙ぐんで遠くから私のことを見ていた。
しかし、私の心の中では大勢の人たちに見送られて、もし
も修行が続かなくて挫折するようなことがあったらどうし
ようと不安があった。出立する時、師匠は
『いいか。馬鹿になるんだぞ。決して利口な真似をしては
いけないぞ。馬鹿になって馬鹿になり切るんだぞ。』
と、幼子を諭すように、噛んで含めるように云った。
実際、僧堂では「馬鹿」にならなければ修行などできない。
ぱかぱかしいと云つては、語弊があるが「馬鹿」に成るか
らこそ修行が進む。まず最初に教えられることは「ハイ」
と「イイエ」という言葉である。入門して一年や二年まで
は新到さんと呼ばれて、一人前には認めてもらえない。
「ハイ」と「イイエ」以外の言葉は一切使えない。右と云
われれば石を向き、左と云われれば左を向く。自己主張と
いうものはかけらもない。今まで大切に育ててきた「俺が」
「自分が」という『我(が)』はぺちゃんこにつぶされて
しまう。
そこで、新しく入門したものが肝に銘ずる言葉は、
『新到(しんとう)三年、白歯を見せず』
談笑したり、顔を綻(ほころ)ばしたりはできない。修行
に親切な先輩などは、わざと面白いことを云つて笑わせて
おいて、
『おまえはド新到のくせに修行中に笑うとは何ごとか!』
とくる。まったく油断も隙もない修行生活である。
入門して一年後、私は空を見上げて門の傍らに天を突く
大銀杏があることに初めて気がついた。それまで毎日庭
掃除をし、落ち葉を集めていたにもかかわらず戦々恐々
と薄氷を踏むが如くに、黙々と地面ばかりをみていたの
だ。
思い返せば、右も左もわからぬトンチンカンな私をよく
も飽きずに、怒鳴りつけたり、叩いたりしてくれたもの
と思う。僧堂での新鮮な無心の一年が今日の私に染みつ
いている。
『月到中秋滴 風徒八月涼』
(月は中秋に到つて満ち、風は八月より涼し)
月や風にはこうしてやろうとか、ああしてやろうという
意(こころ)はなく、無心である。無心のままに時節を
違えず人を裏切らない。人もまた時節因縁が巡つてくる
のを待たねばならない。
あの梅林寺での最初の一年は僧侶としての生き方を決定
的にした。純真だったあの頃はもう帰らない。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp