『不食(くらわず)』


数年前、岐阜県東部の岩村という処へ招待されて出かけて
行つた。静かな山里は、厳冬を利用した寒天の製造が有名
であると聞いた。夕食を頂くために炉端焼きの旅館に案内
された。山菜料理や川魚料理が出た。その中での中心料理
はアマゴという川魚を網の上で生きたまま焼き、塩をふっ
て頂くというものである。
アマゴは熱いものだから当然、綱の上で跳ねる。それを見
ていた同席のご婦人は、
『きゃ〜、やめて〜、かわいそう〜。』
と、目の前の残酷な料理方法に顔をゆがめていた。程なく
魚は香ばしく焼き上がり、旅館の仲居さんに食べるように
勧められると、驚いたことにまっ先に魚をぱくぱくと食べ
始めたのは、先に騒いだご婦人だった。一体この人は何を
考えて生きているのだろうと思つた。
しかし、よく考えてみればあのご婦人に限らず私たちは深
く考える事もなく、食べ物を頂いている。人間に食べられ
たいと思つて生きている命は一つもない。魚はつかもうと
すれば逃げる。蝿や蚊もたたこうとすれば逃げる。もし、
牛や豚が食べられる為に育てられている事を知つたら、彼
らは抵抗できない分だけ悲しみに沈むだろう。大根や人参、
主食の米でさえそれぞれに生命を持つている。
人間に限らず生き物は他の命をいただくことによって自分
の命の存続を図つている。つき詰めて考えれば、豚や牛の
命が我が手となり足となり、我が血となり力となる。大根
の命を戴くことにより、匂いを嶋ぎ音を聞き、米の命を戴
くことにより、泣いたり笑つたりと心を動かす。
では、私たちに食べられたもろもろの命は無駄死にだった
のだろうか。それは、私たちの生き方にかかっている。犠
牲になった命のお陰を感じて生きるか、当然のごとくに生
きていくかの違いである。
禅宗では特に有名な、
『一日不作 一日不食』(一日なさざれば 一日食らわず)
という言葉がある。
これを、「働かざるもの食うべからず」と云つては間違い
になる。大切な食べ物が消化されて尻の穴から出てくるだ
けという人糞製造器であってはならない事を戒めている言
葉である。今まで自分の力で生きてきたと思つているかも
しれないが、とんでもない。多くの命の犠牲により生かさ
れてきたのである。そのことに気がつかねばならない。
だからこそ、今までに私が戴いた幾多の命を生かすも殺す
も、私自身の心の目覚めにかかっている。だからこそ、
「いただきます」という言葉の裏には命をいただいて、
ごめんなさい、という思いが含まれている。

一筆法話

コピーしてお読み下さい。
01  君看よ
02  好事
03  独座
04  皆真なり
05  共に行く
06  好日
07  不食
08  蒼龍の窟
09  家珍
10  風涼し
11  弁じ難し
12  滋味無し
13  月在手
14  無南北
15  短法身
16  這漢
17  同事
18  桃核
19  足別離
20  癡僧
21  元不識
22  不遠
23  不諾
24  也風流
25  無所住
26  阿家牽
27  忘却
28  是非人1
29  是非人2
30  竹一竿
31 斑斑色
32 可憐
33 眞人
34 無慚色
35 不相知
36 三子寒
37 似秋月
38 思鱸客
39 明月夜
40 進一歩
41 千年翠
42 喫茶去
43 殺仏
44 如在
45 声吁吁
46 山高
47 不貪
48 養形
49 夜来雁
50 世上人
51 上樓
52 無暖気
53 嫌揀擇
54 罵李
55 怪力乱神
56 童子不知
57 到遼西
58 火自涼
59 不覚臭
60 無咎
61 為父隠
62 な し
63 な し
64 な し
65 な し


説教はイヤだ!体験がいい!坐禅を組む。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp