八十四老翁の話 其二

黙の時間即ち刻が八十四の日(十二月)、ようやく知れ
た。刻を知った刻の尊いに、八十四は、この刻に急ぐ、
急がねばならない(イソグトハ心万才ニ一歩スル)。歳
月待たずのように文字ではない。刻の尊さ(形モ色モナ
イ今日ノ日)、二度と会えぬ「私の死(明日空気ノスワ
ヌ)」即ち刻。

刻は死の裏付けではないが、刻は一瞬又もどらないから、
刻は刻の生命を時間の上に刻む、一瞬一瞬尊い事この上
なしである。この尊い刻を時間と思い違いをしていた。
時は刻の一瞬の命の尊さを知らせてくれる。待った無し
に二度この刻にお会するなし。

吾親が悪るくて子は困ろうが、吾子に親は手を焼こうが、
いつも私は黙って視て、と声高らかに云っている。この
事はこの世の人は皆間違って聞いている。親と子、子と
親、嫁姑の事ではない。この世の人々の悩みもだえをい
つも一言も云うた、聞いた試しなしに、黙って(全世界
スベテヲ見ツクシテアル)の世界が視て居て下さるの黙
を。

黙の他に黙はなし。黙は黙の永生である。

不生の活きものである。凡ては不生。

人間はいらないもので困るものだ。(ハナレテイナイカ
ラ難中ノ難カ)いるもので困る事は無い。こんなあたり
まえがわかるまで八十四か。(イルモノトハ ソウカデ
ヨロシイノダカラ イラナイモノニシラサレナイト、ソ
ウカハホントウニ、ナッテクレナイ。イルモノノアタリ
マエハヤハリ基、資本カケナイトナ)

人のいるものは皆いらない苦労の基だ。このいらないの
に人間の一生は人り用のことにめぐり会える人と、合え
ない人と二通りあるだけ。

いるものがわかると云う事は、いらないものを知らされ
るが先きである。いらないものを知らされるは、人の活
きるに間に(転トイウヨウダ)値う人とても少ない。い
らないものの心で縛られているもの。

いるものがわかったと云う事は、みんなわからないとな
ってしまった事だ。この辺は、いらないものあるうちは
わからない。だからいらないものを気付く事が先きであ
る。

いらないものがこの心に知らされると、入用のものがい
らなくなってしまう。入用だと毎日しているこのことこ
そ、人の一生(生キル自分ノ)だいなしにしてしまって
いた。

知らないでいらないもので苦労している。知らないは怖
ろしい。このいらないものからは人はヨホド運に依らな
いと抜け出られないように人間は生れているから、いら
ないもので苦労している人々に、ソット見て上げる親切
は、黙ってにあるを、人々は知るべきである。親切なら
黙って、不親切なら心配して下さい。

入用なものだけの日暮らしにさせてもらえると、いらな
いものでどんなに困って居られても黙って拝してゆける。
入用のこととは何か、外の事は煩う事はいつからか知ら
ぬ無くなったなあ。

人の一生はいるものが、入用にならないうちは、入用の
ものはいらないものだ。入用の入用になると、いらない
ものは、知らないうちに、いずことなしに去ってしまう。

いらないものと、いる事とは一ツではないが、離れてい
ない、事実である。目には見えないが目で見えるものよ
り確かにして、区別はいつも付いているのである。どう
付いているかと云えば、いらないものの日を活きている
人々には、絶対に判明の証なしと。しかし面白い事には、
いり用のものが、入用になると、いらないものが判明し
て、しかも、このいらないものにながい間かかり果てい
たが知らされ、しかもいらないものにありがとうの御礼
合掌。

くっついているいらないものを知らされると、いらない
ものと捨てないでも離さないでもよいのだ。いるものを
使えるようになると、いらないものは、どうしないでも
勝手にいらないから失せてゆくようだ。ここに覚も救も
捨も無くなってしまうのだ。唯入用のもので好きに入用
を入用と使われてゆく、この事だけである。入用を使う
のではなく、入用に使われて行くに、入用なもの少しの
無理いらぬ。

信心も信仰も真の心も人間にはいるのか知らない。無安
心の私にはわからないから、巻添えになるはいらない。
はっきりと一言記したいは、いらないもので人間の一生
は苦労することだ。これだけを。このいらないものは時
が来ないと用を足してくれないことだ。時とは、いつで
もと云う事である。



揖は是れもついでに書いて置く。親父が私の十四のとき
五十七で亡くなられた。ほんの一週間で、苦しんで苦し
んで見るに堪えないほど苦しまれた。何が原因か余り当
時は知らないから、お父さん男兄弟が四人もあるから、
後は引き受けたぞと云ったら、どうかよろしくと悦ばれ
た顔は今も忘れない。あとからわかった事だが(母モ兄
モシラナカッタガ死ナレタラスグ云ッテコラレタ由、兄
ハ十年余リデ全部返シタアノ貧乏ノ中デ)、親友からバ
クチで相当の借金をして居られた事が苦しくて苦しくて
堪え切れなかった事が、大きな原因であった。

いつも忘れない十二月八日(生キテイルウチハオモイダ
ス八十四マデ)、開戦当日一人二階の机に伏して涙の枯
れるまで泣いた。あの事は私の人生を今日の一歩とした。
国が大切だとか、天皇国家の為とかでは全く無い。考え
るようになってから四十余歳までの日、来るか来るかと
思い続けていた事が遂に来た。勝敗のことではない(コ
ノコトダ涙ナイタ)、来るか来るかと。大悲(大慈)。

私の全身心に思い忘れない。この英米との戦いは来たか、
来るか、来るかは、心の奥に四十余歳の歳月のこの憶い
が、十二月八日は遂に私一人の心にのしかかってしまっ
た。しかもこのことは来るか来るかと疑いなしに心に憶
いを活きた四十余年とうとう来たのだ。この来るか来る
かの憶いの、来たのこの重量、私一人にオイカブサッテ
しまった。さあ来るかの何十年の憶いは勝てるの確信は
何十年間無かった。恐れ恐れていた英米との戦い、恐れ
ていた来るかはもう来てしまった十二月八日、涙の枯れ
るまで泣くよりなし……。

あの英米との対戦の日本に生れ、しかも東京で中年の四
十五歳いろいろと苦労もした。怠者能無しだから、他人
さまは相手にいつもしてくれない。相手にしてくれない
とは、利財観念の欠除者であった事が大きな原因であっ
たようだ。当時私の家庭生活を心配して、経済軽視の君
はどうするつもりだ、これでは一家離散になるよ、と意
見してくれた思想人も居られた。この事は、そうだなと
心で承知するが、又相も変らず何も出来なかった。今に
して憶えばよく妻と子供は捨ててくれなかった、を深く
知る感謝の感銘に忘れるなし。

召集で別れに来る人に負ける戦いにゆくか、死なないで
来いよ……と云った。今もおどろいたと云っている。

十二月八日の英米との戦争に、東京に世話になって居ら
なかったら(ワアタシノモノデ私ノモノデナイコトハ)
今日の私の心境は断じて育成は成し遂げ下さらないのだ。
この事を信ずる故にこの戦争突入の他緑のあらん限りの
涙、生れつきの怠者能無低能には、東京で活きるを恵ま
れたとは、この日本に一億余千万人の中の最大な幸せ者
と、この東京を心から憶うに疑いなしよ。もしも東京で
住めないとしたら不平不満のこの世で相手にされない、
独りこの世を知らず終ったのである。そうすると東京に
住んで八十四歳は、東京は私を育ててくれた東京であっ
た。貧乏と戦争敗戦何事も御礼様。

憶えば憶うほど東京で開戦敗戦日本のすべての中心で開
戦終戦日本の混乱、食べ物のない日々、私一人知らない
ふりして喰わない日々とて時々在った。しかし大勢の国
民吾家族及びとなりからとなりまで物、物、物で明け、
物で暮れた。大東京の住民苦しいなんて通り越して、ま
あ仕方なしに平気にならざるを得ない、毎日、私は働か
ぬ、暗の売買は手を出そうとしないから仕方なしに妻は
毎日買出しに歩いた。しかし面白いことには当時長女は
二十過ぎ次女は十七八、外に中学小学入学前と子供七人
だったが、一人として丈夫で遊んで友人と話をしていた
私に、働かないか父さん、と一人も云わない。こんな恵
まれた人は無いだろう。老いて益々この良い七人の吾子
に黙って御礼を書いて逝くありがとうありがとうよ。

十二月八日は八月十五日より悲しかった。私の全心霊に
四十五年来るか来るかと憶いつづけていた事が来たのだ。
この来るか来るかは私の思想ではない、来るか来るかは
日本の危機の全体であり国を賭けての礎いであり、来る
か来るかの吾が心身全霊であったのに、とうとう来た十
二月八日一人机に伏して泣た。

人は知っても知らなくとも、全世界の人間は皆与えられ
たを活きてゆく。其事が知恵才能であったり、低能であっ
たり、財地位権力であったり損徳にかかわりのない心の
ことであったりする。公平に一人一人皆与えられたを歩
む、秀れたもなし劣れるもなし。

この歳にさせてもらうといよいよ公平に一人一人平等に
好き好きは好きに与えられている、何の区別差別は無い。
笹川のように世界人類皆兄弟であるなんと人心をタブラ
カスをテレビで広告しないでもよいのだ。あれが良一自
身の本心からなれば、あんなモウカル仕事はやっていら
れるものではない、全身心ウソだから威張って居るのだ。
公器のテレビでも悪い。

知っても知らなくても皆同じ事であり人であるを知らさ
れると、生を受けて終るまで皆良い事である。悪い事な
んて見当たらないにさせてもらえるな。知っても知らな
くても、わかってもわからないでもとは、何と恵みの幸
せの事だろう。人間だけに授かっている自らであり、わ
かってもわからなくとも天の恵みよ。

知っても知らないでも、わかってもわからないでも、こ
んなやさしい平凡な温かい言葉に吾が生活のすべてが含
まれているとは、天に謝し地に伏して嬉しさ生死昇天の
憶いの他なし。あ……知っても知らなくても、わかって
もわからなくの毎日日語の語り合に、人間永遠の生死が
摂取されおさめられ、どうしないでも皆一同、同信同親
に日々させてもらえるとは。

昔から日常使っているわかってもわからないでも、知っ
ても知らなくてもの言葉、こんなに吾が嬉しいあたたか
い、世界を与えてくれる言葉だとは感激は全身心に溢れ
る。わかってもわからないでもだものなあ、知っても知
らなくてもだものな・・・・・・と知らずして双手は合
う。こんなあたりまえのどちらでもよいに、好き好きに
どちらでもと、この世の昔から教えの道はカミサマがつ
けて置いて下されたのだ。

真宗では得て来いよでないよ。わかって来いよでないよ、
その機のなりを説明するが、皆語りに終っている。その
機のなりをフトコロに大切にと仕舞い込ませてゼニ取る
だけである。その事が悪いとか良いとか云うのではない。
「その機のなり(仏ニ下根ヲ救ウ大悲アリモ同ジコトヨ)」
に手れん手くだのあやつりがあると云うのだ。揖はわかっ
てもわからないでも知っても知らないでも、昔の昔がそ
うかそうかこんなあたりまえが人間の吾々に与え授け
られて在ったのか、そうですかそうですかと独り嬉しい
事ではないかと嬉しくて。どちらでも広大果てなしを悦
ぶ。

知っても知らなくても、わかっても、わからなくとも、
と言う事は人智を計り知る事の出来得ない深い深いこと
である。実に不思議の命を持ったことで、しかも人間に
何の評価なしに与えて下され、しかも変化や変動の天変
化地上の興亡に少しの関係なしに、このどちらでもよい
が好き好き(一人一人)に構成されているとは。

人々よ揖はこのどちらでもよい、知る知らぬに関係ない
この事を信じて毎日し、又終ろうではないか。あとのこ
とは、何があろうと、又どうなろうと少しも煩う心はい
らぬのではないのでしょうか。人様の事は知らないが、
どちらでもと拝し奉る日々を毎日して、みなさん一人一
人どちらで深信心真を。

欲を捨てて無になる、と昔から禅剣で説いてあるが、捨
てられる人々はどうにもならない立場に活きている人で
はない。だから捨てると仏教のすべては云っているが、
それは捨てられると信ずる人々におまかせするより仕方
がない。まあソット片付いてもらう事にして、揖は捨て
ることも知らない、ほんとうに其日其日どうにもならな
い身心の人々と、私のどうにもならないのどうにもな
らないは、どうにもならないのだものアタタカくに日を。

暖かいはどうにもならないに必ず便りしてくれる春彼岸、
天地の自らよ。この温かいは人智の赦される豊かさとは
全く異る豊かとアタタかいは、同じにならぬ自らの計い
よ。どうにもならないこの暖に、人は必ず到るべく足り
ないどうにもならないよ。

どうにもならないとは、春の彼岸の小春日便りのように
アタタカイことだな。どうにもならないのアタタカさ、
豊かの世界ではない、春の彼岸の暖かさ、どうにもなら
ないこの暖かさよ。

どうにもならない私のところへ、どうにもならない人々
が来て下さる。このどうにもならないお友達、どうにも
ならないを親しんで似タカ依ッタカでつどいは楽しいな。
このどうにもならないを遊ぶ語り合の三、四人丁度良い
なあ。昔からウマイ物は少人数で、とはほんとうに無理
なしに伝えている。是れが私が其道の達人や学問をして
居ったなら、このどうにもならない人達が、どうにもな
らないをかかえて、どうにもならないを遊びに来て下さ
らないのだ。ほんとうにどうにもならないは良い。

自ら体力が無くなると知らされることで今更珍しくも新
しくもないが、この人に生まれたどなたでも老いる、老
いれば教えてもらう、老いの世界。見えるもの見えない
事いずれかどう在っても少しも支障なし。力もいらない
権力なんて見向こうともせぬ、唯どんな事がどう在って
もそうか、と摂ってゆく。実に毎日は何の用もなく、朝
明け日は暮れるに有難うの心に時々憶い出して憶に暮し
ている。

揖は内には善も悪もなし。善悪なしの内の心には、権力
も財力もいらないのよ。権力財力の横行する暴力は外界
のことのみに在る。是れの主体性が政治である。だから
揖は昔から是れからも政治がキレイになることは無いこ
とは明らかなことだ。キレイに成ることのない政治だか
ら、政治は続くことでもある。どんなに社会主義が明ら
かに実行されても政治はキレイにはならないことではあ
るから、人々は一生懸命政治をキレイと命がけでやって
いるし、是れからも止むことなし。

頭が狂っているのかも知れない。体力が無くなれば、い
よいよこの文字ならべるだけが楽しい。書けるうちに独
り楽しんで文字ならべて逝きたい。この事が良いとか悪
いとか少しも感じなくなった。唯好きに文字はならぶ。

先きはほんの近くなった。好きな文句を好きにならべて
一人嬉しい。何十年もだれも読んでくれないのに、こう
もアキないものだな。近くなったが近くなれば、だんだ
ん好きな事に力むはないが、楽しい文字はならぶ悦しさ
の限り。



いつどうならなくなるやら知れない。この生身の活きる、
狂うかも知れない、それもよし先きさまの仰せなら。世
は無常と言伝えど、無常が常やら、常が無常やら。

知らないで(ムカシカラ人々ハ知ッテモ知ラナイデモ)
土台に埋もれて来たこの土台を、いつの間にやら俺は忘
れ切っていた。俺の活きるは土台でよいのだ。土台誰も
知ってくれなくてもよいこの土台、こんなにこの世は重
要文化財のことであったを知らなんだ、知らなんだがあ
った。在ったのだから知るわけもない。

土台で一生過ごせばよいのである。この土台は礎のよう
に堅い(大丈夫ハイラナイ)は少しも無い。昔から知ら
ないで、この土台に少しも無理せずに、人の世は構造作
りは黙々と在る。どこまでもどこまでも。

人の事は知らない。俺の八十四の活きるに大切なこの土
台を忘れ切っていた。人の世は何がどうわからなくても、
一文字読めなくても少しの差支えないのだ。黙って独り
この土台に埋るの人の活きる重要事にあ‥‥そうであっ
たのだな、この土台様よ。

土台だ、手に持つことでもない、立派な造作物でもない、
形のある事には少しもかかわりなし、土台の愉しさ土台
に知らせてもらわないうちに絶対にわからない事だ。強
いて説えば空気と同位置に、人の世に人間が活きるに必
要重要事であるのだ。だから何知らなくともこの土台で
全部足りる。足りる。

この誰でも知れる、見られる、聞ける、昔から人々は黙っ
て、埋もれて来た。土台、余りにも当然で人々は気付か
ずにいるのだ。難かしいなら知った人も在ったのだろう
が、どなたでも知らないでこの土台を活き、死んで逝っ
て下されたのだから、極めて少ない人々だけこの土台の
尊いを毎日暮していながら、知るの機に値はないで毎日
して居られたようだ。

土台を知る毎日、休みなしにこの土台の他吸呼するは無
かったのよ。毎日の呼吸を呼吸で今この土台を知ったの
か知らされたのか、それはどちらでもよいが、あまりに
も当り前で、人々はどなたも忘れ去り切って居られるは、
少しも悪いのではない。人間はこの土台が昔の昔から人
の世に重要と在ったのだから、余り重要としなかっただ
けのようだ。

土台は唯土台である。いつもいつも土台である。ゆるぎ
ない大地の上に在って、万物を支え切っている。家の土
台もそうであれど、家だけのものではない。土台の大き
さ、広さ、深さ、土台は天地万物を少しの障りなしに吉
凶天地変化災害、何が、どう成っても土台はいつも土台
として役目を人類のみならず、万象にその責を果たし止
むなし。

土台を活きるとは、因に依り、この土台の上に生を受け
たのである。この土台で一生を土台で終るを誓約で土台
の生は、この世に創ったのである。さればこの土台こそ
吾が生の基であり、知った知らぬにかかわらず今現に土
台の生ではないか。揖は土台がえあかってもわからくて
も才能低能にかかわらず土台の生を信と伝承されて在る。

土台と生、生れるは土台の上に、こんな当然を余りにも
人々は気が付かないようだ。土台を活き、活きるは土台、
この土台を忘却している人々だもの、毎日心の暗いは当
然ではないか。そんな無理をせずとも生れたは土台だか
ら、皆土台で幸せであり、土台の安定に安住させてもら
えるに幸せよ。

気になる心が、気にならなくなった。是れだけもことが、
わが一生を幸せに日常する基である。

ながい間気になる心が気にならなくなったと云っても、
経験(私ガ入ッテハナラナイ)であってはならないのだ。
経験体験というものはその時はさも確かだが、いずれ月
日が経つに従って俺がの執に成って相手を攻める道具に
だけ使うの、独善に終るのよ。

この独善を怖れて昔から、わかるまでも大変であれど、
その后の事を忘れてはならない為に、語り合う(ツドイ
和合ナシ集リナシ同行同志モナシ)が大切と伝えられて
いる。この語り合いも、わかってからのこと即ち気にな
らなくなってからこそ、いよいよほんとうに研がねば光
りは出来上がらないと、この事を先人は有難くも教えら
れている。

禅剣一如とこの世は在り得ない。この禅剣こそ罪悪であ
る。武藏が三十歳以后人を切らなかったを、禅剣の依り
処とするのは、禅も知らずして、自我の心(聞イタ文字)
を言で知っているのである。宮本武蔵は三十歳以后は、
剣を用いる心境は自身に消えたのである、いらない毎日
であったのだ。

禅剣一如をふりかざすは人間の独断言であり、この言今
も今后もほんとうだと伝えるを、揖は心からこの嘘言を
この世から抹殺すべきと憶う。武蔵は三十歳以后は人を
殺すの剣を用いるの要は無いのだ。この事は少し深う考
えをすればわかる事である。揖もながい間禅剣一如と思
って来たのだが、今日八十四の十一月五日午前三時に、
明らかに心照されたは、この剣のいらない明照(ココロ)
であった。

だから人間の社会生活には、禅剣一如はあり得るのだ。
神の世界は禅剣一如を人間生活に一度も在った試しはな
いのだ。この場合揖は神を書くが、神の世界とは目で見
える事ではないが、この目で見えるようの小さいせまい
を、言っているのではない。見えない神の世界は、目で
見えるより確か、不変不動、動作自在にして、人是れを
知るはいらない、この事を云うのだ。

剣のいらない八十四は、神勅(ミコトノリ)から聞いた
神の仰せだとはこの八十四は、どんな事がどうあっても
ああそうかそうかと善も知らず、悪と云われる世界も見
当らず、とがめる相手もなし、無論家族から他人から何
と云われ思われても、即座に何事も(未生トモ不生トモ
云ウ)消えてゆく、朗々と春の淡雪のように、この剣の
いらないに導かれた、云っても頼んだも祈ったも無いの
だから、創より在った事に在ったは在ったと知らされた
のであって、私の物でも事でもない。

福井の三浦素文(ココロノフルサトデハアレド)に来て
ほしくないと断わったし、富山の吉田龍象に揖片身だよ
と近刊二冊送った。何の返事も双方ともない。なぜこん
な事を書くかと。親切で云ったでも無し、何の返事もい
らないものだ。心煩ううちは返事も便りもいるが、煩う
事ないと、どうでもよいもので、一言。

離れるものに離れるで済んでいる。こんな無理の無い事
はないのだ。何に、何がどう離れるかは、離れたのでは
ない、頭の考えの遊戯だ。離れるものに離れさせてもら
う、離れるは離れただけの事であって、実態のある事で
はない。離れは実態なし。



人間は恵まれた(仏ノ世界カラデモ 神デモヨシ)ら何
十年の積重の効功に(ハシメモオワリモナイ)依って、
離れるを知らずして、離れさせてもらっているものだ。
この離れさせてもらったの離れるは、私のものでは無い
から、私有性の少しも混入していない。人もし私有性
(ハナレルニ)の混入ならば、黒い馬を赤毛の馬に乗替
えたことよ。

離れるものに、離れる、離れることの人間の重要を、揖
は書いて逝く。何に離れるかの、説明はいらない。これ
も説明か。何卒何卒お赦しを。

教徒であろうとあるまいと知っている。キリストも富め
る人々の救われる事は、象が針の穴を通るとり難しいと。
この事は富める人は救われる事は、この世では無いと云
う事だ。揖が貧乏人のところには銭持ちは来ないと同じ
ことよ。だから貧しきは幸せなりよ。

物で活きるか、心で一生悦ぶか、この二通りを人と生れ
て人間一人一人いずれも、好き好きに、選べるように人
の智は生れながらにして与えられている。さていずれで
もよいとは、何と広大無辺の大自由であろう。束縛なし
よ。

八十四歳の今にして身に泌みて憶われる。品川の伊藤町
の宅で(昭和二十年ノ五月頃カ)、吉川一水老(倉橋ヲ
ココロカラ慈シタ人ダ)が道元ほど非宗教の人はいない、
まる切りあらゆる著作は観念界より一歩も出て居ない、
確かに覚える才能はすばらしいが、中身無しと。

一ツの言葉でも書いて置く。学問とか説証の在ったもの
に少しの関係なしに、文字は自分のもので。

生命とか命とか考えたり書いたり言ったりするが、命と
は具体的に何を云うのか。唯バク然と命を大切にとか、
生命の尊いを知るべきだと説いたところで命でも生命で
もない又、命にも生命にも関係ないよそ言よ。揖は云う
命とは、水と魚のかかわり合いのことだ。魚と水、水と
魚、で命である。



この老いぼれにこうも飽きずに為にも足しにもならない
のに、毎週々よくも来て下さる。こうなると来てもらう
老の心言葉なしに嬉しい。ほんの二時間か三時間の語り
合いのこの時間だが、この世の至宝の語り合いが通じ合
える時間、こんな宝物の時間を遊べるとは。

こんな宝物の時間(知ル人ノミシル)を遊ぶ人もこの世
にいよいよ少なくなった、寂しい事(イラナイ人ニハイ
ラナイ)だな。狂い走るの物物権力の化者に、世は狂い
切っている。この世に、こうして週に一度来て下さる事
の不思議の尊さよと、いつもいつも還らえたに心から、
ありがとう(ヨロコビハ)が湧く。三、四人のつどい嬉
しいを果し無し悦ぶ。

宗教がわかったり救われたり助かったりの物語りには、
揖を集まる人々には、そんな程度の高いことはいらない
のだ。本来人間は皆同じ(ドナタモ生マレ、死スル)で
はないのか。いつ覚えたのか知らないが、優劣(カナシ
ミノ)の区別を物心ついてから知るようになったのか、
知らないが、人はみな大したこともなしに(男ト女、女
ト男責任シラヌニ)、この世に生を受けて来た。揖の言
いたい事は、人は皆平等であるから差別があるを。

消える(枯レル)一切、一切は消える。消える一切、消
える、消える、唯々消える(不生ナルガ故ニ)。土のビ
生物は草樹木を育て、枯れる(未生)草樹木はビ生物を
育てこの土に又樹木を繁栄さす。このことは樹木も土も
知る知なしにこの土の上に作為されている。是れ消える
(枯レル)、消える(枯レル)、消えるの天地よ(イノ
チヨ)。

消える(枯レル)、消える(枯れる)、消えて(枯レル)
ゆくでは無い。消えてゆくと思っては人智の世界に消え
る(枯レルノ本来)が人間界のことになる。消えるは人
間界のことではない。消える、消える、消えるで一切は
消えるに消える。あやまってならないのは、消えてゆく
ではない。消えてゆくならば消えるを消えるの奏曲にな
らぬ。奏曲は天空大空(宇宙)に消えてゆく(ワレモナ
シ人モナシ)。枯れ消える奏曲よ。



消えてゆくは(考エハイラナイ)丁度よい自らよ(天地
ヨ)。仕方が無いも我力かなわないも無い。丁度よいは
(アット一シュン)消えてゆく。(新シクキイテ)

万人とも丁度よい(コノ世ノ生ニヒトリモ不足モ不満モ
ナイ)のであった。知っても知らなくとも生も死も丁度
よいになっている。(ワガコトデワガコトデナイ)

自分のものにしなければ(ナニゴトモ、ナニモノモ)、
ラク(クラシ)になるこの世界(人ノヨ)であるのにな
‥‥。いつのときか成るであろうは間違いなけれど、文
化はいつここまでか。

神も仏も信も信仰も人間を幸せにとのマ力全く現代は失
い切った。揖は難しい注文するのではない、だれも彼れ
も毎日出来るの、事、俺のものにしないを。

俺のものにしないで一切は相済みの暮れの大福帳よ。こ
の相済みは必ず払ったに大福帳は判明を記す。俺のもの
にしないこの当たり前の言葉万古不易よ。

自分のものにして苦を勝手に求めてもがいている人々よ、
静かに静かにもとから自分のものは無いのでないか。我
物無しは宗教の専売語ではない。この世の創よりの実態
よ。

自分のものにしない生活が、いつかと書いてみたが今直
ぐに出来る易い事である。いつかまでと待たずに誰でも
自分のものにしないはいと易い事だ。昔から切れ間もな
しにやれる人にはやれて、今も続いている。現に揖の主
は働かないで二十冊余本をこの世に。

揖は一切自分のものにしないをらくのこの世に生活して
行けるを一目散に今日まで走って来たし、又もういくら
も活きられない八十四だが、心から何も我がものとしな
いに従って、ラクに毎日する。我がものにしないこの晴
天の日、他人に全く関係なし。一人こうして我がもの無
しに日は明け暮れる毎日、少しのウソもなし。唯この我
がものにしない悦ぶ昔からの相に、合掌。



我がもの無しと宗教では説けど、我がものにしないは文
字では無い。文字は我がものにしないと書いてはあれど、
文字は文字だけのことで、我がものにしないのほんとう
の事実ではない。文字はほんとうを書いてはあれど、文
字がそのままほんとうと成ってはいないのだ。ほんとう
があるから、このほんとうを文字はほんとうと、書いて
あるだけのことよ。故に仏語ウソナシ本願アヤマリナシ
なぞはナンセンスである。人間の知る覚えるのあやまり
を悲しく憶う。

我がものにしないと言っても、そうむずかしい事ではな
い。誰でも成れるし、又させてもらえるこの身である。
どうすればと言えば「思うだけで」「済む」「思うだけ
で」はきめる事でもないし、きまったでもない。ほんの
一寸憶うだけでよいのだ。欲に別れるとか自分を捨てる
とかの混雑な思いはいらないのだ。唯々そうかと思うの
中に、我がものは消えて、いよいよそうかそうかと曇天
は晴天に。

暗いに逝くこの怖ろしいは、人間に与えられたことよ。
しかしこの暗い怖ろしいを、万人同じでない、いずれで
も在ってもよし。

暗い闇までは人間の生の知の領解、暗い先きは知ること
は出来ぬ。暗い先きまでわかるものだと教えるし、又わ
かりたがって人々はやれ学問だ聞法だとわめきたててい
る。世の中はいつまでもいつまでも在る。

俺の知は暗い暗い暗の終点だよ。終点の暗、下車は暗い
闇よりなし。下車すれど、暗い闇の世界、道全く見当ら
ぬ、見当たらぬ(ミアタラヌデオレノウソモナシ)。

自他共に一番迷惑は、暗のほかに明るいは無いとか、明
るいとは暗の真闇とかと、さもほんとうらしく説明した
り聞いたりするの事だ。あわれとも言う事なし。暗のほ
かは人の知恵は知るも視るも出来ないのだ。生きている
人の知恵は、暗いに突き当たって怖ろしいまでよ。

人間の生れつきの性分は直らなくてもよい至上命令であ
る。よく区別しなければならないのは、直さないでもよ
いことではない、直らなくてもよいのだ。

「直らないと」「直さないでよいとは」全く質性とも同
根ではない。一方は大地であり、一方は迷う人智である。

去る者を追わずと云う事は、来ないかは言わない世界の
ことである。
崇は靖国と結ぶ、しかして又国民を戦場にさらす。讃は
心の晴朗に毎日する戦の崇の要なし。

日本よ、政治も経済も、角栄も、鈴木も、土光も、芸大
も、作家も、日本中の大学教授も、日本中の役人も、ゼ
ニのほしい人々だけではないか。いやそうでないと云う
人も権力の化物ではないか。特に憶いを深う悲しむのは
宗教人よ。皆一人に成って、一人で喰べられなくを歩け
よ、と人の道をやかましく大臣は説いたが、損徳の上に
座っている事が、人の道かよ、人を馬鹿にするな。

遊を昔から高らかに云って来た。遊を言葉や文字で弄ん
だ人は居られるらしいが、今も昔も、私は低能で覚えが
悪くて不器用で怠者でこん気無し。一ツのことをやって
いるうちに、この一ツのことで間違(シゴトシテモ)っ
てゼニモラウ仕事(モノハデキナイ)は務まらないで、
ほんとうに仕方なしに生身で活きているから、活きて来
ただけの事で、遊でもないが仕方なしに何も出来ないか
ら何もしないで八十四まで、こんな遊であった。仕方な
しに遊んだので価値なし。

そこだな、もう近くだと、思っても、思わないでも体が、
もうそこだと、教えてくれる。そうか、もう来られない
のかと、心躍動するもう来られないのだな。やれるうち
に無理にならずに体と相談して、好きな事を疲れずに精
一杯好きなように(イツデモヨイト)文字ならべてゆく、
与えられた幸だ。このことを悦んで逝く。

どんな立場に於ても、人間の知恵は追い込まれたり、追
い込んだりのことである。何も偉らかったり立派で在る
ように見えても、みんな、追い込まれ、追い込むの所作
よ。

明日狂うかも(タシカゾナシ)、中気に倒れるかも知れ
ぬ。明日の事は、今のこの心の健康の喜びに関係ない。
今日のこの果てしない心の健康こそ、無限の吾が命よ、
神も仏もなし。

於て、からだが達者である事も幸かなであれど、しれに
増して心の達者を心から悦ぶ。心の健康は。老い知らず
に日日無際限(イノチ)なしに、拡大を肌身に感ずる、
八十四。

体力は弱る八十四、心は萌え上る炎、不可思ギのことだ。
心の充実は体力と関係なし。

弱った体力は、炎を春草のように萌上る。いよいよ是れ
から新しく、心果てなし悦ぶ。この事のありしを(用ハ
ナイ)不可思議と。

又今年も賞与を少しと、京の子供から手紙と来た。親は
何したこともないのになあ…心から嬉しい。しかしゼニ
は家内に半分上げたが、東京の子供六人にこの京の夫婦
の手紙一人も見せるわけにはゆかない。この事が私の不
徳の至すことと、心から悲しいことは誰にも言わずに、
揖に書き残す。親子でも兄弟でも、心と心が一ツになっ
て語らないでもよい、話さないでもよい、顔見て済むよ
うになるまでなかなかの事だ、人の世よ。

よいのか悪いのか知ろうともしないが、何かにつけて直
ぐに心から有難は信の日、京の子のほんのわずかの賞与
でも、東京の六人には香りもさせられぬほど遠いのだ、
遠いのだ。毎日毎日一ツやねの下でも、もうこの世では
近くはなれない。世の中はこんな事が常識だから、怠者
親の資格は無いのだから、仕方ないが唯独り親は黙って
心で合わす(スマナイナー)のみ。

自分はこのままでもないし、ありのままでもない。言う
事ないのが、自分であるから是れで、どうしないでも。

己を知るとはと昔から云っているが、自分は自分に、凡
て思う事も言う事も、消えている。即ち言うなし。

親子同じ家に染む戰后はだんだん少なくなった。日本の
家族制度を富めるが故に(タベモノガ、ユタカニナッタ
為ニ)、(家族制度ハ)全く木葉ミヂンにしてしまった。
世の知恵よ、識者よ、声を大にして叫ぶが、この事を寒
心する人もなし。昔は間に合った家が足らなくなり新し
い地価新しい建築皆繁栄と、日本人の真の国の礎になる
のだろうか。

私は八十四妻は七十九、孫二人両親家族六人の毎日だ。
私には他に六人の男女あって皆それぞれ、家庭を暮らし
ている。私の老人として言うのは、この二人の老人を二
十年余り黙って毎日いやの顔も見せずにメシを食べさせ
てくれるのだ。(ホカニ)兄弟が七人もあるのに少しは
手伝いはしてもよいのでないかの香いもかほりも長男夫
婦はした事なし。老夫婦も一銭もなしだ。

私が働いて恩給や銭貯めていたらこう云う昔からのまま
の家庭生活は育たなかったのだ。五十余年何もせずに遊
び暮らしたから、この日本の家長制のまま、長男がこの
二人の老人のめんどうを見てくれるのだ(タベサシテク
レル日本制度ヲタヤシタクナイ)。私は近頃身に憶う事
は、いっしょに住ませてもらえれば良いのだ。いっしょ
に。このいっしょが信心より信仰より有難いな…。だか
ら長男夫婦に知ってほしいわかって、の願は少しもない。
喰べさせてもらうだけで心から有難う。



この事につけても四十年近い京の友が、女の子三人嫁に
やり長男は別家していた。自分達も老いたので、自分の
家を売って若い人達といっしょになったと、転宅通知が
来た。それにつけてもゼニ持って行かなければ気になら
ないが、少しでも家売ったゼニ持ったのでなあ……と思
う。どちらがよいのか、知らないが、持ってゆかれたが
気にさせてもらうようだ。

(ナクナッテ)八年過ぎた七十四の友、娘に電話した。
逝ってからも君に語るようの返事の電話声、娘からきこ
えて来る。心の友は残った子供からでも君の声は聞ける
ものだ。俺は残ってこうして八十四まで活かさせてもらっ
ている。秋元兄よ。ありがとう。思えば五十余年生身交
り(ナマミデ体当タリ)だったな。

さてと秋元よ、君の娘に電話して君と語るようの気がす
るにつけて、いろいろろ心から親しく交った友も多くあ
る。しかし亡き后その子供と話の出来ることの皆無に等
しいな。私の不徳の至すことであれど、生前の友はあれ
ど死后につながるを置いて逝ってくれる友、全くなし。
この事は人生に重要と願う揖よ。

亡くなってから師は利用価値があるから、あれこれと言
う人がいるが、友の亡き跡にその子供と心が通うこと全
く無いとは、生前どんなに親しくても、皆利用程度に過
ぎないを、八十四は身に泌みて憶う。私の子供七人ある
がおとうさんの友だと、父亡きあと友慕う子供一人もな
し(カギリナクサビシ)。

老人とは精一杯わがまま(エラブモノハナイ スキナコ
ト)で其日其日を毎日する事(ホカニスルコトナシ)だ。
老后とは、遠慮する心持を好しとしての苦悩の日を。

この日老人が老人を暮らす(毎日ヲ生クルニ ナニモイ
ラナイヲ)人なし。老后とは、ヒクツと嘘の遠慮(見栄
デ)で、家族全部(コノ見栄ヲ働イテキタコトヲ)各自
(メイメイ)勝手バラバラのエゴの暗い日日の毎日を過
ぎゆくものよ。

老いてわがまま精一杯を毎日するとはどう言う事か。老
いての周囲にジャマになるもの毛筋ほども無いとさせて
もらった、と云う事だ。さてこの周囲。

老后に熕いはつきまとう。老人には熕う事とて見当らぬ。
(コノ)老人の朗々の日(生キルイノチ)のことを、
(全部ノ)日本人は全部忘れている。老人よ、この老人
を心から老人に楽しもうよ。

わがまま一杯をいきると、老人自ら言切れる人少い。な
ぜ少ないのか。老いた歳を楽しむを知らないからだ。老
いたが老いた歳を老いたに楽しい事は、自由自在に歳の
老いは毎日、そうかそうかが体力の耳も目も用は余りな
いな有難う。

老いたのだ、この歳を楽しむとは心に(二度ナイコノ)
人生に大仕事の、心の温かい仕事を持つことだ。自分の
老いの心に温かさを持てば、老の周囲は皆初日の日の出
だよ(栄エヒカリ)。老いの歳だもの暗いはない。老后
(アスノ)の暗いは、老后の考え(シンパイ)の然らし
めるの憐れの老后の老後のいらずごとよ。一日も早く止
めては……。

老人は老人を活きることを、老人に望んだも願ったも無
い。今日から明日と云うようにはっきり言える事でもな
いし、又知るの知恵の事でもないようだが、気が付いて
みたら、私もいつのまちやら八十四と言う歳月を過ぎて、
今日ここに誰に頼まれもしないのに、白い紙に浮ぶまま
に文字ならべている。有難いことよ。こんな楽しいが在っ
た。

老人はわがまま精一杯心に少しの障り無しの日を毎日す
ると言うと、さも少しもむずかしくなく、だれでも出来
るように思うかも知れないが、これが障りなく毎日する
には、よう易ならぬ(老人ニ与エラレタ)大仕事である。
先ず人のいやがるを絶対しない。老いは老いに仕える。

老人は他のいやがるを絶対にしない(コノヘンハ、ソウ
ムズカシク思ウ要ナシ)、心徹しなければ老人はわがま
まをさせてもらえない(徹スルデモ、ナンデモナイ タ
ダスキニイキレバヨイ)のである。他人のいやがるをし
ないでこそ老人である(コノコトハ注文ハイラナイ、注
文ハ買ッテクレガツイテマワル)。もしも相手からされ
たら、そうかそうかと口で言わないで心底からウナズキ
逃げる事よ。この場合逃げるを逃げるとらくにらくらく
と逃げる事、要の要よ。敗けて信を獲るの嘘言でなしに。
逃げる逃げるに遊ぶ。

老人(カラ)とは、今日の空気が腹一杯(タダデ)食べ
られる。老后は、明日に縛られる(ツマッテイル不安)。

老いるとは真に嬉しい日常だ。物はいらない、自分のこ
とは自分だけとわかる、家内子供孫も一言も云わないで
視て居られる。どうしてとか、こうしてとかは、思うこ
ともいらなくなった。ほんとうに老いは老いをこんなに
慶んで活きられることであるとは知らなんだ。老人とは
豊かに心独り、近いうちに。

老いて恩給だ財だと迷う事は、この日本にゼニが使い切
れないほど余っているから、こう老人は老后老后と狂う
のだ。又政治も行政も喰物にしている。物もらって真に
悦ぶ人はないものだ。もらえばもらうほどイヤシク流さ
れてゆくのが人の心だ。困っての人は幸せを見付けさせ
てもらえるが、困らないでは欲果てないだけよ。

一度も教えられたも無しに、この歳にまで活かさせても
らうと知らされる。覚えようとした覚えもないのに、私
の身辺からいらないものは失せてくれた。このいらない
ものをこの歳まで一生懸命かかえていた。このいらない
ものの、いらない御恩と云う御恩とは、丁度よい、俺の
全体は丁度よいな。

書いたはほんとうの事では無い。をやっと知った八十四。
ほんとうの事を文字にした文字は文字である。それなら
ばほんとうの事とは、ほんとうにほんとうをほんとうに
在ることである。ほんとうに在る事は、文字ではない。
文字はほんとうの事を文字に懸命にしたのである。だか
ら文字とほんとうは同じではない。



俺でも活きて来られたもの、憶うとき、五十余年の怠者、
能無、徒食の日日が悦ばれる。俺でも活きてこられたの
不可思ギの徳に、俺でもの最下が活きてこられたの謝恩
に南無する。この南無親鸞は、六字或は十字の名号と言
い残された。六字も十字も文字ではないを揖は憶う。

五十余年徒食させられなかったら、(コンナニ)活きて
来られたの嬉しいは知るは出来なかったろうし、そうす
れば私自身の生活態度も今日で無かろうし、今日あるは
今日までの怠者で徒食で活きた低能が、家族全部犠牲知
れるも知らないにも迷惑のかけどうしの八十四、心から
見えるにも見えないも有難う、済まなんだな……。是れ
からも迷惑をかけますな……の嬉しく南無と心静かに合
掌。

丁度よいは丁度よいのだ。余っても、足りなくても、財
が有っても無くても、健康でも、病身でも、明日喰べる
朝っ飯が無くても活きているのだ。いや俺は八十四まで
家族九人ここまで活かされてきた。この事を丁度よいに
しないで、何を丁度よいと出来るのだ。頭は低能だし心
は怠者だし、親も兄弟も友だちも相手にしてくれないし、
丁度よい(イウコトナシ)の外なし。

老いるとはほんとうに丁度よいのだ。だれに頼むも願い
もいらない。どうされないで、少しも心煩うなし。日は
暮れ夜は明ける。いつまでやらと思うと、身に沁みるこ
の一人の寂さ(ヨロコビ、ウレシサ)、この世界こんな
悠久広大深信果てないの丁度よい(昔カラ)に、今日ま
でめぐり合わなかったとは、何とこの思い上りのこの心
よと、今日は思い上りを悦ぶ、を知らされる丁度よい日。

揖は、(ワレワレ生レテハ)ほんの一寸の時間の活きる
日を、心豊かに幸を人々の上に願う。さてその幸せとは、
世間一般の人々のように、物や、権力に、在るのでは無
い、ことを少ない仲間であるは承知で、一人でも二人で
も見えない幸せを毎日と。


つづく 現在はここまで

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp