以下旧バージョン

「55水の輝き」
「ワシントンの大酋長が我々の土地を買いたいと言ってこられた。大酋長はまた
友情と好意の言葉も送って下さった‥しかし御申し出は良く考えてみよう。なぜ
なら、我々には解っているのだ。もし売らないと言ったら白い人は銃を持ってや
ってきて我々の土地を奪うだろう‥いったいあなた方は大空や大地の暖かさをど
のように売ったり買ったりするおつもりか。我々にはふしぎでならない大気の爽
かさも水の輝きも人の所有物ではないのにあなた方はどうしてそれを買ったりで
きるのか」
(一八五四年アメリカ政府の土地買収に対する先住民族のリーダーの演説)

宗教や民族が排他的に自己主張することの愚かさを何度歴史に見てきたことでし
よう。テレビの中の悲惨なアフガンの難民を見るたび害が自分に及ばないかぎり
眼を瞑っていることの出来た人々が現在の世界を作ったことを考えずにはいられ
ません。違うことは違うとして認めあい自分自身を見つめていきたいと思うこの
頃です。



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「54 我往かん」


「小鳥来る 音うれしさよ 板びさし」
と蕪村は秋になって渡り鳥が帰ってきて庇(ひさし)の上を歩いている音がす
ることを喜びました。この句を知っていて作ったであろうと言われる
「鳥の羽の ひさしにさはる 寒さかな」
は、ひねくれ者と言われる一茶の句です。

毎日悲惨な戦争の記事が報道されています。レスター・サロー(経済学者)は、

「経済的な敗者や新しい時代にどう対処するかわからない人が原理主義宗教に
救いを求める」

と書いています。毎日悲惨な戦争が報道されています。しかし貧しくとも平和
な生活を大国の飽くなき欲望と西欧社会の物差しで計った結果が是なのではな
いでしょうか。お金と腕力のある人は押し付けがましいですからね。だから、
プライドを傷つけられた人々は、余計に古きよき時代の復古(原理)主義的な
運動に駆り立てられるのでしょうか。明治維新の日本人も似たような行動をと
った人がいましたね。

政治のことはさて置き、
「露の世は露の世ながらさりながら」

と詠んだのは小林一茶です。一茶、蕪村ともに恵まれない育ちかたをしたにも
関わらず、一方は友と睦み一方は世をすねて生きました。誰にも苦しいときが
あるでしょうが、そんなとき孟子はこう言っています。

『人を愛して親しまれずんばその仁にかえれ。人を治めて治まらずんばそ智に
かえれ。人を礼して答えられずんばその敬にかえれ』

他人を責めずに自分の徳がたりなかったのではないか、自分のやり方が下手で
はないか、自分の態度が悪いのではないか、自己反省しなさいと。しかし、

『自ら省みてなおくんば(正しければ)千万人といえど我往かん』

とも書いています。誰からの命令でもなく自分の信念で生き自らを省みて生き
ていく。難しいけれど結局他人の所為(せい)にして生きるという簡単そうに
見える生涯より、活き活き生きてゆける感じがします。ちょっと苦しいかもし
れないけどやってみますか‥‥?

「53 ネコノウオジタイ」


ネコノウオジタイ・・ん?
では、
「猫の魚辞退」は?
字を見ただけで好物の魚を前にしてやせ我慢している猫の表情まで感じられます
ね。聴くところによると日本軍の一兵卒に到るまでの理解力の良さの秘密を漢字
教育の中に見つけた米軍は難しい漢字を教えることは子供の自由時間を奪うとし
て制限したとか。

自由と放埒とは違うのですが、戦後自己主張が是とされ、上手く立ち回ることが
是であるかの如く喧伝されました。しかし戦時中上手に生きた人達が転向、翼賛
を支えたことを忘れてはならないと思います。

名人桂春団治は猛烈な勉強家でしたが、勉強は家の便所でし人前ではでたらめで
通しました。落語家は上手になるなと弟子に命じていたそうです。日本人は、
ー上手が一番をー大好き民族ですが、今は鎖国時代と異なり、他国に関せず己の
利益のみとはいかない時代。膳の上の美味しい秋刀魚の前に正座し、ちょっと日
本について世界についてそして自分自身について考えてみましょうか。

「52 ヘベレケ」

九月九日は「重陽の節句」。この日、菊を浮かべた酒を飲むという風雅な風習は
正月のお屠蘇、雛祭りの白酒ほどではありませんが不老長寿の薬として有名です。
でも酒は別名「キチガイ水」ヘベレケに酔うほどに飲まないで下さいね。

さてこのヘベレケですが、何と語源はギリシャ語のヘーベーエリュエーケという
(へーべーのお酌)からきているそうです。女神へーべーはたいそうな美人、お
まけに薦め上手。神様達はつい飲みすぎてヘベレケになったとか。

酒には実に沢山の異名がありますが、握り酒(酒をしぼった後の酒粕)とか村雨
(昔は作り方が現在と違い原酒が濃いため薄めました。その限界まで薄めた酒は
町で飲んで村へ帰るまでに醒めてしまうから)等の名前を聞くと昔の人の言葉の
上手さに思わず酔ってしまいますねえ。ボキャビンなどと平気でおっしゃるかた
もおいでですが、秋の夜長の友として名月と酒だけでなく使ったからといって減
ることもない会話を肴に秋の夜長を楽しみましょう。

「51 暑いゾーッ!」

「暑〜い!」の他に言葉のない今年の暑さ!そこでちょっと寒くなる話を。

皆さんも一度くらい「食指が動く」と言う言葉を使われたことがあるでしょう。
いえいえ、美人の話ではありませんよ。今から2600年ほど昔のこと、鄭(てい
=中国春秋時代の国)の国に子公と言う人がいました。これから謁見という時に
右手を(食指と呼ばれていました)ピクピク動かしました。

「それは何だ?」

と友人が訊くと、

「食指が動くときは美味い物にありつけるのさ」

と答えました。果たしてその日の宴会には珍味のスッポンのスープが出たのです。
にっこり笑う子公に意地悪で有名な君主の霊公はその訳を聞くやいなや

「お前だけはスープを飲むな」

と命令した。怒った子公は鼎(かなえ= 食物を煮るのに用いる金属製の容器。普
通は三足)のスッポンスープに指をつっこみ味見しながら退出しました。これだ
けのことをすれば、霊公はきっと俺を殺す、その前に殺そうと友人と相談し本当
に殺してしまったのです。カッとすると殺す、最近のニュースに似ていませんか?

げに食物の怨みは怖いゾーッ!という話。寒くなりま・・・した?

「50 既成仏教」

徳川家康は三浦按針(みうらあんじん=元東インド会社社員で家康の参謀)から
アジアの国々はヨーロッパから来た宣教師たちによってキリストの教えを布教教
化され、その後を追って軍隊が入り込み植民地と化していったことを知り、キリ
スト教布教を禁止し、キリスト教徒を弾圧しました。

放映中の北条時宗では、日蓮上人への迫害が出てきますが、曾て法然上人の墓ま
で暴(あばか)れそうになるという信じられないような各宗派の葛藤がありまし
た。既成仏教と一口に言いますが、昔も今でも権力のある国の体制と共に生きて
いこうとする、否、今では国は頼りにならないから、お金や地位のある人にペコ
ペコするだけで、本当に仏教が必要な人には振り向かない(自己反省を含め)の
も既成仏教離れの一因ではないでしょうか。

今回(6月24日の随縁会特別講演会)の講師 山田法胤師は次々と変わってゆ
く日本の歴史の中でも全く変わることなく千年を超えて「法」を伝えてきた、奈
良の薬師寺の執事長として全国を駆け巡っていらっしゃる方です。又、岐阜県根
尾村の御出身の方です。どんな御話を聞かせていただけるでしょうか、楽しみで
すね。御友達も誘いあわせ是非御出かけ下さい。

「49ヒトに迷惑」

「私は天で虹を描いていたのだよ。それが私の仕事だった。しかしあまりこの世
がきたないので、神様が私をこの世へおつかわしになった。『おまえは下界に下
りていってあの世界を美しく飾っておいで』」

岸田劉生の生誕百十年を記念しての名古屋での展覧会は終わりましたが、そのモ
デルとして有名な麗子はこんなにも美しい言葉を聞いて育ったのです。自分の仕
事に対してこれほど自信をもって子供に語れる親が現在幾人いることでしょう。

子供には「ヒトに迷惑をかけないように」といって育てています‥‥、とは良く
聞く言葉ですが援助交際をしている子供たちも例外ないと言っていいほど
「ヒトに迷惑かけてないからイイジャン」
と言います。もしそんな行為を恥ずかしいと思う両親、祖父母、兄弟、友達等が
その子供の回りにいたとしたら、そういう人達はその子供にとって何になるので
しょう?

社会との関係、そして最も近い家族との関係が狂ってきているような気がします。

「48ことば」

一年の節目の四月です。
最近特に言葉の乱れが嘆かれていますが昭和九年上梓された谷崎潤一郎の
『文章読本』の中に、

『われわれの国語には一つの見逃すことの出来ない特色があります・・己を卑下
し人を敬う云い方だけは実に驚くほど種類が豊富でありまして、どこの国の国語
に比べましても遥に複雑な発達を遂げております。例えば一人称にはわたし、わ
たくし、私儀、私共、手前共、僕、小生、迂生、本官、本職、不肖。二人称には
あなた、あなた様、あなた様方、あなた方、君、おぬし、御身、貴下、貴殿、貴兄、
大兄、足下、尊台・・われわれ日本人ほど礼節を重んずる国民はなく従って国語
もその国民性を反映しそれにしっかり結びついている』

と書かれています。ある大学教授から聞きました、
「答案用紙に『ヤマハズレチャッタヨガビョーン』と書いてあり二の句がつげな
い」

谷崎からわずか六十数年です。親しき中にも礼儀ありと言います。自分のいる場
所にふさわしい言葉を使えるようになりたいですねえ。

「47絹の道」

ラピスラズリーは新大陸を除きアフガニスタンにのみ産出される貴石です。アフ
ガン東部からイランを経てエジプト、メソポタミアへそして、インダス、中国へ
もたらされました。中国では3500年程前からホータンから輸入されていまし
た。その代価を中国では絹が当てられたため「絹の道」と呼ばれるようになった
のですが言ってみれば「玉の道」または「ラピスラズリーの道」とよぶべきかし
れません。

宗教画を描くときマリアの衣装にだけ、ラピスラズリーのブルーを使ったともい
います。それほど高価なものだったようです。

しかしシリアのパルミラ遺跡から発掘されるミイラを包んである布が蜀錦であっ
たことからも今に「絹の道」と呼ばれています。その道には中央アジアの砂漠、
北方ステップ、南方の海路と少なくとも3つあると言われます。その中の一つを
通って玄奘三蔵はインドへ旅をし膨大な仏典を中国へもたらしました。

インターネット時代の昨今、道は縦横に開けています。「電子の道」とでもいう
のでしょうか。膨大な仏典は勿論のこと、世界中の情報は簡単に入手できます。
では、私たちは生活が、人生が、心が豊かになるのでしょうか。知るということ
と充足感は何も関係ないような気がします。物質では人間は幸福になれないとい
うことを現代人は知り、心の充足を求めていますが、同じくどのように立派なこ
とを説いてある情報だけでも人は幸福感を得られないように思います。さて、ど
うしたらいいのでしょう?

「絹の道」のついでに、
平山郁夫画伯がその道中を二十年かかって描き薬師寺へ納められたことはテレビ
で放映されました。二十一世紀を記念して今年いっぱいは毎日、一般に公開され
ることになりましたが、今年度の随縁会特別講演(第9回)は以下のご案内です
が、

6月24日(日)午後2時より
於岐阜市文化センター3階 展示室
会費 1000円

講師でもある、山田法胤師
[薬師寺執事長、喜光寺住職〜近鉄薬師寺の次の駅で下車]
によれば、4月以降観光客が増えることにより、絵に何かの被害が起こる可能性
があるため、前にガラスを張るとか何かの形で制限をするかもしれないとのこと
です。もし自分の目で直に見たいと思われる方、是非3月中にどうぞ。喜光寺は
小東大寺と呼ばれる古刹です。寄ってきて下さい。

「46省事」

自民党副総裁だった故椎名悦三郎氏は「省事」を旨とされ要所以外は部下に任せ
た為、かえって実力を発揮する人が多かったそうです。武王の下で働きを発揮し
た太公望呂尚(りょしょう)と武王の弟で宰相周公旦の息子はそれぞれ一国を与
えられました。五ヶ月の後、太公望は宰相の処ヘ報告にやって来て、
「土地の習俗に従い、しきたりを簡略にしたら統治がうまくいきました」
と。また宰相の息子は三年の後にやって来て、
「民の統制のためにこまごまと規則を決めるのに三年の歳月が必要でした」
と言ったそうです。宰相は嘆いて、
「我が息子はきっと太公望の臣下となるであろう」
と。果たしてその通りになったのです。

それから九百年ほど後、一国を与えられた中国の漢の劉邦(りゅうほう)は秦を
倒した後、厳格だったそれまでの法律を止め、
「人を殺した者は罰する。人を傷つけた者、物を盗んだ者は程度に応じて罰する。
法はこの三章だけ」
としました。これによって天下の人心を引付けたのです。

これは「法三章」と呼ばれ有名ですが、規則や礼法ばかりに詳しくて、本質を知
らずにいる人も多いものです。いや、こういうことでやたらと威張る人ばかりの
ような気がします。しかし傍目にはこういう人の方が、立派に見えるから不思議
です。あなたの周りにもいるでしょう?

こういう人は形式さえ整っていれば本心から満足なんでしょうかね。魂とまでは
言いませんが、心の処理をどうしているのでしょうかね。それより、形式にとら
われずにその場に応じて無駄を省くことによって出来た時間を、自らの楽しみに
回す‥‥それもいいことだと、人生に疲れてきた人は思考を変えては如何?。

寒い冬も終わり、そろそろ梅便りが聞かれるようになります。先人は雪をわけて
も梅見を楽しみました。その風流、見習いたいですね。

「45くちなわの歳」

骨董ブームが続いています。
「道具屋、なんか珍しいもんないかい」
「へい、ございますよ。弁慶が小野小町に送った恋文なんかどうでしょう」
「よせやい、時代が違うじゃねえか」
「だあから珍しいんですよ」
ここでどっとくるのは昔の話。最近では「オノノコ町って何処の町?」とくる。

現在日本文化と呼ばれるものの大半は江戸時代に出来たとか。その時代の最も洗
練された場所は何と言っても吉原でしょう。読者は、またまた、Hな和尚さんだ
と思われるでしょうが、
「吉原の通い始めは傘と下駄」
と言われておりますように、傘はお馴染の花川戸の助六、下駄は高尾太夫へ通う
のに伽羅の下駄を履いた仙台公。美人のうえに歌、舞はいうに及ばす茶道、華道
その他諸々。最高の教養を身に付け、金を積んでもどうにもならない太夫を惚れ
させたい一心で大名や豪商は必死で教養を身につけました。

そこまでしなくとも、ほんの百年やそこら昔の本すら古典とし、読めなくなって
きた今。お金で価値の解る骨董はとも角、古典にも親しむ二十一世紀にしたいも
のです。なにはともあれ、くちなわの年明け楽しみましょう。

「44文化」

11月3日は「文化の日」。
日本は昔から外来文化に大きな影響を受けながら生きてきた国家であると思いま
す。仏教はその最たるもので、思想や倫理観なども含め仏像や寺院建築などが、
日本人の生活に時間をかけてゆっくりとしみ込んできました。奈良の平城京や、
京都の平安京も中国の真似です。しかし、明治以降は西欧文化を取り入れる方向
へ日本人は一途になりました。

長田 弘氏(詩人)曰く、
「文化の日とは文明開化の略で文明開化は明治からとして「明治節」を文化の日
としたのではないか。今の日本語の文化つまりカルチャーとしての文化と違うと
思う。文明開化から明るく開かれたが落ちたのが文化ではないか。」

文化について大宅壮一氏は、
「文化というのは上につくと駄目で下についたのが本当だ」
つまり文化鍋、文化住宅、文化人、文化国家等と日本文化、室町文化というのは
全く違うというこらしい。

文化勲章の逸話で思い出されるのは内田百間と永井荷風ですね。
百間は、
「いやだから いやなんだ。」
荷風は、
「年金をくれるなら勲章をもらってもいいよ。」

ある人が聞きました「文化の日はどんな日ですか?」
その人答えて曰く「休日です」

もう一度文化について考えねば・・?

「43理想」

先日、電車に乗ったときのことです。目の前に髪の長い真っ白のワンピースを着
たお雛さまのような古風な顔立ちの女性が、時々声を出しながら一心不乱に本を
読んでいました。これほど真剣に読む本のタイトルは?一体何だろうと見てみる
と、『理想の自分になる方法』。

ん?はてさて、何処かで似たような言葉を聞いたことが有る……、

「人間は改良できる。我々が改良するのだ。強い民族のみが国家を形成できる。
生きる甲斐のないものを抹消する」

そうそう、かのヒットラーでした。

ゲーテ(1749-1832)?は自分自身が病的だったからでしょうか、

「健康とか健全を理想とする思想が現れたら二十世紀の社会は病院くさいものに
なるだろう。社会でも人間でも健康で健全を目指し病的なものを排除して出来る
社会は完全な管理社会になる。」

と言っています。とりとめもなく連想は続くのですが、
この前、人生相談に来た人につい言った言葉、
「西洋の人の言葉に、
ー自分の考えたとおりに生きなければならない。そうでないと、自分が生きたと
おりに考えてしまうー
というのがあるけど」でした。

「42ちょっと」

人は一人では生きて行けません。他の人と暮らすために作った社会という容器の
中では、お互いに気分良く生きるため、色々なルールや習慣が自然と出来上がっ
て、マナーと呼ばれるようになってきました。

「大口をあけて欠伸をしない」
「相手の顔に自分の息がかかるほど近寄って話さない」
「調子っぱずれの歌を歌う人は特に独唱はひかえること」

残念ながら独唱に一番向いていない人が何故だか歌いたがる傾向がありますから。
ん?ん?ん?何とこれは十六世紀にイタリアで書かれたマナーの本に載っている言
葉です。ちっとも進歩しないのが人間と言われますが本当ですねえ。

ちょっと他人の身になって考える、ちょっと自分の身の回りを見渡して見る、等々
その「ちょっと」が大いに欠けて来たように感じるのは私だけではないと思います。
暑い夏も、もう少し、食欲の、美術のそしてスポーツのと行事の多い秋となります。
自己中心主義や自由主義どんな主義でも勝手にやって戴いたら結構ですが、お互い
に人間として「ちょっと」を心がけたいものです。

「41論語」

知人がスペイン旅行から帰ってきました。
「暑かった!現地の人や外人〔?)観光客は昼寝をしているのに、日本人観光客
だけが、あっちこっち歩き回って夜になると、くたびれ果てて折角のフラメンコ
も居眠りする人が多かった」

とのこと。昼寝と言えば孔子は弟子の宰予が昼寝をしているのを見て、
「私は人間は言行一致しているものと思っていたが、宰予には裏切られた。普段
立派なことを言っていたから、信用していたがそうではない。今後は行いを見て
から人を信じよう」 と曰ったそうです。

でも古川柳に、
「日の永さ どこの家でも宰予なり」
と茶化すように、大半の人は暑い夏、思わず昼寝、が普通でしょう。

孔子といえば岩波文庫の『論語』大売れだそうです。しかも、若者を中心に読ま
れているそうです。何故か?17才の事件が多発して若者が自らを律する方法を
模索し始めた?いやいや、彼らの親の世代に倫理や道徳のことを聞いても頼りに
ならないから?

答えは意外なところにありました。それは、世界を駆けるサッカーの中田選手が
『論語』を愛読しているからとか。中田選手は『論語』を読み、自らの支えにし
ているらしい。それを知った若者が、読み始めたらしいのです。いずれにしても
暑い夏、中田選手もきっと昼寝をして体調を調えていることでしょう。皆さんも
睡眠をしっかりとって残暑を乗り切って下さい。

「40色々」

 「ガリア戦記」の中でこれからブリテン島に攻めていこうとする戦士達に向か
い、シーザーは、

「敵は身体を青く塗っていていかにも恐ろしそうに見えるがあれは見せかけだけ
のもの、恐るるに足りない」

と檄を飛ばしています。しかし青く塗っているのは脅しではなく毒虫を除ける為
だったそうです。カウボーイ達が好んで着たブルージーンズもやはり毒虫除けだ
ったことを思うと、昔から先人は洋の東西を問わず経験として染料の薬としての
効果を知っていたのですねえ。

そういえば、紅花(べにばな)茜(あかね)藍(あい)鬱金(うこん)これらは
薬草であり、染料でありそのまま色の名前でもありました。

裁判所の裁判官は黒い衣を着ていますが、これはどのような色にも染まらないと
いう公平さを表しているそうです。お寺の世界でも緇衣(しえ)といい墨染めの
黒か、ねずみ色の衣を着るので、緇衣とはお坊さんそのものを指す言葉でもあり
ます。お釈迦さまの時代は、白い衣は外道の着るものだということで、仏教徒は
着なかったらしい。新入りの人も古い人もただ、糞掃衣(ふんぞうえ)という粗
末なものを着て道を求めたといいます。

しかし、現代では白衣の上に衣を着、その上に袈裟を着け、色も金銀、緋色、紫
茶色等々、お釈迦さまがご自分で開かれた教えの末裔たちをご覧になったら、き
っと卒倒されることでしょう。シーザーが言ったように、見せかけだけの恐るる
に足りないということのないように、お坊さんは心していかなければいけないと
思います。

まっ、いいか。責任の一端はお釈迦さまにもあるのだから。

「39サンダル」

厚底靴が流行してからどれほどになるのでしょう?転ぶのではないかと他人事な
がら心配でした。走っているつもりは解るのですが、思うように走れずゴロンゴ
ロンと音を立てて「アルク姿」も気になりました。

今年はミュール(後紐のないサンダル。最も私に言わせれば単なるつっかけですが)
が流行とか。今度は色とりどりに塗った足の爪をきらつかせペタンペタンと歩かれ
るのでしょう。サンダルは紀元前の古代エジプト文明で使われ最も古い履物と言わ
れます。足の甲をベルトで支える形は今も昔も全く変わっていません。

しかし古代エジプトではサンダルを履くのは近隣諸国を踏みつける意味があり、履
くことを許されたのは王侯貴族、高位の僧侶のみで、地位、権力の象徴でした。転
びはしないかと心配しないでいられることはありがたいのですが、一体これからお
嬢様方は「何を踏んずけて」歩かれるのかと思うと、新たな心配も生まれます。
吁!

            

「38あ〜と」

以下の『』の中の文章をさらりと読める人は、尊敬に値する人です。

『「アート」とはどういう意味なのだろうと改めて思った。・・アートという優
れて人間的な産物に氾濫する情報を消化する役割を期待し、逆に硬直化しがちな
アートに社会性や日常性を注入することでどのような効果が表れるかを探る実験
だ。・・アートの重さに疲れ日常の味気なさに飽いた人は一度訪れてみるとよい
だろう。』

これは新聞の美術展の紹介記事です。最近はカタカナ語が新聞や雑誌の文中に増
え、理解できないことが多く困っていますが、ほとんどが日本語とは言え、上記
のような訳の解らない記事を読みますと、とても美術展へ行く気が起こりません。

自分の頭の悪さを棚に上げて言うのも変ですが、事実を自分の頭で濾過してよく
理解して言葉にすると優しい言葉になると言います。

山本夏彦氏は、

「人は頭が白くなれば、無条件に偉くなったと勘違いする。 <中略> 勘違い
に気付かない老人ほど始末の悪いものはない」

旨の文を書いておられた。もしや書き手は、万人が読む記事を書くのだから自分
は無条件に偉いと思っているのだろうか。そして芸術や哲学、宗教は難しい文章
表現でなければ有り難く読んでくれないと思っている節が見えます。

そういえば曾て大評論家と言われた大宅壮一氏は、「頭の悪い者ほどむつかしい
文章を書く」と言われました。む、むっ!‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

「37次から次」

『枕草子』の中で御所から加茂まで行くことを旅と呼び、いつも冷静に見ている
作者の清少納言が、子供のように喜び、道中で出会う様々な生活を見て感動して
いる様子は、車社会にすむ現代人にとっては、たったこれだけの道中で?
と不思議な感じがします。

しかし、あの時代の宮仕えでは大変な行事だったのでしょう。最近知ったことで
すが、宝石商の人たちは、宝石をたくさん持っている人を選んで売るようにする
そうです。
お腹一杯ご馳走を食べた後では、どんなに美味しいものでも食べたくなくなるの
と異なり、宝石は持てばもつほどもっと欲しくなるものらしい。

その伝でゆくと国内旅行に飽きて海外へ出かける人は、海外に飽きたら今度狙う
のは「第二の毛利さん」でしょうか?その後はどうなるのでしょうか?
満ち足りることのない欲望はどうしようもないのですね。

「36事実・生き方」

「あいつあ 次郎長なんかじゃねえや、ごろ長って呼ばれてたんだぜ。以前から
親分を持たないことをいいことに、金が無くなりゃ街道筋で追い剥ぎはやる、い
かさま博打は打つ、それが又馬鹿に上手いんだ。
自分の賭場に客人が来るのに邪魔になるってんで、例の咸臨丸事件で清水港に浮
かんでたお侍(さむれえ)さまの死体を片づけたことを、どうお聞きになったの
か山岡鉄舟先生が、なかなか殊勝である、なんちゃって御贔屓にしてよ、馬鹿な
やつは可愛いってえけどさあ、牢屋に入れられた日にゃ愚庵先生に「東海遊侠伝」
ってやつを書かせて、御赦免になるようにさせるもんだから、今じゃあ、みんな
が、次郎長のことを本当だと思っちゃって。ああ、情けねえ。」

とはいへ、あの時代飯岡助五郎を始め名だたる親分は自分付きの講釈師を抱えて
都合のいいことばかり書かせていたそうですから、次郎長ばかりではありません。
確かに小さいとき母親に死なれ、親戚をたらい回しにされ ひねくれ、ぐれたの
も仕方のないことかもしれませんが、こんな風に愚痴っていたやくざも実に沢山
いたのは確かです。

山岡鉄舟の引きもあって時代が明治に変わってから、やくざは廃業の憂き目を見
るというのに、次郎長一家のみが政府の仕事をして羽振りが良いのを見れば、言
いたくもなるでしょう。

やくざは幕末から出来たもので、決して子母沢寛や長谷川伸の描く世界ではなか
ったことは、今では皆の知るところです。やくざと十手の二足の草鞋、最近も聞
きそうな話題です。

しかし清水次郎長が死んで已に百年以上たちます。韓非子(かんぴし)は、秦の
始皇帝時代に生まれ、清の光緒帝の時代までちゃんとした評価が得られなかった
といいます。

真実が何かは解りませんが、伝教大師が「一隅を照らす者は国の宝なり」とおっ
しゃったように、やっぱりこんなふうに‥‥「名もなく、貧しく、それほど美し
くもなく」生きていくのが本当かなあ、と思います。

「35赤穂文伝」

赤穂浪士を預かった各藩は厄介者を早く始末したい為切腹の時にあまりに急ぎ、
刀を腹へ当てる前に首を落とし検視の役人に咎められ慌てて首なし死体の腹へ傷
を付ける事もあったとか又 浪士の使用品も迷惑品の為泉岳寺へ全て押し付けま
した。その後浪士は義士となり、参勤交代の折りには武士が墓参に訪れ、土産の
品にと遺品を寺から買い取り今に我が家の御先祖は赤穂の某と懇意であったとか
後ろ盾であったとかの話が残ることとなっていますが、晴れて遺族が墓参りが出
来るように成った時遺品は一品も残っていない、が史実です。犯罪が起きた時犯
人を、昔は良かったと言う人がいますが自分の気持ちの良いことだけを見ていた
のでしょう。後になって「考えてみると云々」というのもちょっと・・。要はそ
の人が何を重要と考えるか、各個人の心の持ちようにかかるのではないのでしょ
うか?



「34成田屋」

それでは一つ睨んでごらんにいれましょう。「いよっ。成田屋っ」パチパチッと
拍手喝采。御存知、市川団十郎です。

でもどうして睨むのでしょう。初代団十郎は深く不動明王に帰依し、成田山のお
不動様からとって成田屋にしました。成田屋は荒事で有名ですが、その骨格は破
邪にあり山伏の修行に繋がっています。山伏は仏になるため修行する集団ですが、
天竺の仏が神に姿を変えて日本に現れたとし、権は仮を意味しますのでそれが現
れた、つまり権現信仰となります。その修行の一環としての神楽が成田屋の荒行
の骨子となっているといわれます。

二代目になるとその信仰はますます深まり、楽屋の門番の妻女に狐が憑いた時に
はグッと睨むとたちどころに狐が堕ちたとか、大阪の巡業の時には病人の枕元で
グッと睨むと、又もやたちどころに病本復。

〜そこで舞台の上からグッとひと睨み〜

信仰の力とは言え、ここまで来ると正にご立派。

さて、ミレニアムとかなんとかお祭り好きの日本人ですが、二千年の幕開けはこ
の道樹寺の潭渕和尚が睨んごらんにいれます。‥‥と言いたいところですが、最
近は老眼が進行し、睨むと目がしょぼしょぼして涙がこぼれてきて困ったもので
す。まあ、暇なお方はぜひぜひお出かけを。

「33 尺貫法」

きのう焼肉きょう餃子あしたステーキあさってポトフ。こんな食事をしている国
は日本以外で世界中にないそうです。国それぞれに特徴のある料理を食していま
す。

しかし考えてみれば少なくとも十七世紀頃まではインド人は唐辛子からいカレー
を知りませんでしたし、韓国は美味しい唐辛子からいキムチを知りません。ドイ
ツの有名なジャガ芋料理も庶民が食すようになったのは十九世紀と言われます。
食物一つとっても先人の知恵に感服させられます。

しかし、現代社会では「前例がない」とか「規則に無い」といって多くの有意義
な芽が摘み取られていることは枚挙に暇がありません。永六輔氏の裏話によれば、
尺貫を使いたい職人がどれほど願ってもメートル法は変えられません。但しその
時の議員‥この法律を決めた国会議員が生き残っているので、その人たちが全部
この世から消えれば、あっという間に元に戻るそうです。プライドや規則や習慣、
思い込みや何やかにやに捕らわれていると、その時その場に人間を生かしたり、
より良い生き方を模索する一番良い方法を考えることは、簡単そうでなかなか出
来ません。

(ある女の子のことで、複数の高校に相談しましたが、けんもほろろでしたので
 教育も基本は大人のエゴだなあ、と感じて‥‥)

「32 秋津島」

秋津島(あきずしま)・・大和国の異称。また広く日本国の異称ー『広辞苑」と
ありますが秋津は古語で蜻蛉(とんぼ)のことです。神武天皇が大和の国の山上
で国見をされた時、こんな歌を歌われました。「うつゆうの まさきの くに
なお あきずの となめの ごとし」意味は狭い国ではあるが、蜻蛉がとなめし
て行くように、山々が続いている。となめの「と」は臀と書き臀をなめる、交尾
をしている様のことです。日本の初代天皇の何と大らかなお歌でしょう。最近、
何かで読んだのですが、幼稚園児に兎を描かせたら皆同じに長い耳と赤い目を描
きました。しかし本当の兎を見せた後は各人各様、まるで毛糸玉の様な絵を描い
た子もいたそうです。大らかな天皇に見習い先入観を持たないで、あるがままを
見てゆけるようになれれば・・・・と思う今日この頃です。

「31 不労所得」

 江戸時代は「かわらばん」明治になると『新聞」次に出たのが「雑誌」です。
その頃、新聞から記事を集めて「日本大家論集」を出版し大当たりしたのが大橋
伝兵衛さん。出版社の名前を博文館と名付け、その後も様々の雑誌を売りだしま
した。

 雑誌は売れに売れ著作権などない時代で巨万の富を得ました。その富をタダで
継いだ人の名は富山只継(?)。実名じゃないけど、嘘じゃありません。

「来年の今月今夜のこの月をきっと僕の涙で曇らせて見せる」

この「金色夜叉」の名セリフを貫一に吐かせた尾崎紅葉は、自分の愛弟子が恋人
を博文館の御曹司に取られ、悔しい思いをしているのを見て憤慨しました。何と
か弟子のあだ討ちを・・・と目論見、誰が見ても博文館と解るようにして作中の
悪役の名前を 富山只継としたのです。現代ではとても考えられないこと。人権
重視の立場から誰が殺人を犯したのかさえ不明の昨今ですから・・。

 さてさて、彼の西郷隆盛も、

「一家の遺事 人知るや否や 児孫の為に 美田を買わず」

と言っているじゃありませんか。タダで児孫に富を残すのはよくないようですね。
世の中はお金の力でラクラクホイホイと渡っていける、と勘違いするような輩が
いるのもまた目障りですね。

「30 国歌」

 最近日の丸、君が代が国政の問題となっています。嘗てフランス万博で少女が
フランス国歌を歌うのがあまりに惨ましいと問題になったことがありました。そ
れはフランス革命の時国家防衛のためマルセイユから来た兵士達が歌ったことか
らラ・マルセイエーズと呼ばれるようになり、いつしか国歌となりましたが、あ
まりに血みどろの内容のためでした。

 イギリス国歌は作詞、作曲者が違うことが解ってきました。誰が歌うというこ
ともなく百年ほどの間に自然に国歌となっていったようです。しかし別の歌詞を
付けてある時はスイス国歌となり又アメリカの準国歌となっています。大変荘厳
だからでしょう。

 アメリカといえば、<旗は見えるか?><旗は翻っているか?>と国歌として
は大変変わっていますが、イギリスとの独立戦争の時、友人の保釈交渉のために
イギリス軍艦にいた弁護士のキースが、あまりに酷い戦いのため翌朝、アメリカ
の要塞を見ると翩翻と翻る星条旗がありました。それを見てあまりの感激にその
場で作った詩だそうですが、何と!メロディーはその戦争の相手国であるイギリ
スの作曲家スミスの乾杯の歌をそのまま使っています。

 どの国にも国歌にまつわるエピソードはありますが、完璧な国歌とは何でしょ
うねえ。国歌、国旗も定まらず戦火に明け暮れる国、自国の国歌を歌うことを禁
じられている人たち、さまざまの人のいることを改めて考えさせられる八月です。

「29 スコーレ」

「彼と握手をしたら後で自分の指を数えろ。」と言われるほど商売上手だった古
代ギリシャ人ですが(商売は詐欺も含めて知恵の戦いと言われ騙されたほうが馬
鹿の時代でした。)

こうして儲けた金を、彼らは人生の最大の目的である「人生を楽しむ」為に使い
ました。彼らにとって余暇(スコーレ)は日本語の余った暇ではなく命を懸ける
ものでした。

そして哲学、美術、建築と現代の私達が古代ギリシャ文明と呼ぶ数々の傑作を残
してくれました。このスコーレはスクールの語源と知ると、ちょっとかんがえさ
せられますね。
それに比べるとカルタゴ文明と言われるものは全く残っていません。彼らは人生
の目的が希薄だったのだろうといわれます。彼らはただただ働き、金を貯めるこ
とのみでした。もっとも第3次ポエニ戦争までの三回もの大きな戦いをしたこと
が挙げられるかもしれませんが、それすら歴史書に史実を留めえるのみです。

今私達が目にすることが出来る神殿もプールもカルタゴ人の生活の場所には何一
つ残っていない。これは考えさせられることです。日本人も戦後ただただ金のた
めに働いてきた気がします。

今私達はこれが昭和時代の平成時代のと誇るものを持っているでしょうか?
働き過ぎと言われれば揃って海外へ、はたまたごろ寝と自分自身をゆっくり見つ
めてみるゆとり、スコーレが必要なのでは・・・?

「28 本」

最近アメリカの深刻な問題の一つに子供の読む能力の低下があります。それは危
機的状態とさえ言われています。又子供のみならず大人も読書離れし例えばログ
ハウスを建てるときもまずビデオを見て作るとか。「情報はテレビから。本は退
屈」、とはいえ、パソコンを使うのにも文字が必要となり政府は困っているそう
です。日本も同じではないでしょうか?

最近、『葉っぱのフレディ』なる子供向けの絵本がサラリーマン諸氏に読まれ?
ているそうですが、私はお金がないので本屋さんで立ち読みをしました。内容は
といいますと、ごく当たり前のことが書いてありました。(子供向けだから当然)
不思議に思ったのは、このような単純な内容の絵本がどうして人生の真っ盛りに
いる人々に読まれるかということです。人間に生れてきたら誰しもが考えること
なのに、幼児向けの絵本で理解しようとする彼らが理解できません。

推薦図書と言えば、読書感想文。歴史書の中には人類の智恵が詰っているぞ、と
言われても楽しくない。何をおいても読みたくなる本、とは貴方にとってどんな
本でしたか?
多分親に隠れて、先生に内緒で・・・。
こうなると勉強に役立たない本がこの危機を救うのかも知れませんね。
最近どんな本を読みましたか?

「27 さくら」

 花と言えば「さくら」。
昔から日本人は桜を大事にしてきました。

 日本史上、最も古い桜の記述は木花之佐久夜毘売「コノハナノサクヤヒメ」
天照大神の天孫、天津日高日子番能邇邇藝能命「アマツヒコヒコホノ二二ギノミ
コト」の大后(おおきさき)です。古代にはラリルレロをヤイユエヨに転じてい
ましたからサクヤはサクラとなり正に「コノハナノサクラヒメ」となります。

 又現在の奈良県桜井市の付近にあったとされる御陵は磐余稚桜宮「いわれのわ
らざくらのみや」と名付けられていますが、天皇即位の時の宴で盃の中に11月
というのに桜の花びらが浮かび何という縁起の良いことかと、その花を捜させら
れた時、山に入ってその桜の一枝を持って来た物部連(もののべのむらじ)を讚
え稚桜部造(わかさくらべのみやつこ)と名前を与え、その宮殿の名前に桜をつ
けられたと書いてあります。
現在、わかさ(福井県西部)の国と呼ばれているのは、(わかさくらべのみやつ
こ)の領地の名前が変じて若狭となったそうです。

 桜は日本自生の樹木ですから正に神代の昔から花といえば「桜」だったのです
ね。

 江戸の慶長年間の記録に湯島聖堂の近くを通った下男が江戸代官の桜とは知ら
ず一枝折ったことが発覚し、主人もろとも捕らえられたが、桜の花の歌を一句述
べ罪を免れたと書かれています。

 又大人から子供まで風が吹いて花を散らさないかと心配し、硯や薄紙を持って
出掛け咲いているうちに一句とか、花を描いてとか、花びらを集めてとか、桜の
下には花狂いが雲霞(うんか)のように集まったと書かれています。風流ですね
え。

 さて、最近では花より団子三兄弟?
何とはなく風流とかけはなれ味気なさを覚えるのは私だけでしょうか?

「26 若菜」

君が為 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪はふりつつ

ご存知、光孝天皇の歌ですが、こちら美濃の山々にも雪の下に春の気配が感じ
られるこの頃です。2月16日は旧正月。正月といえば春の七草ですね。お陰さ
まで七草ではないのですが、蕗の薹(ふきのとう)は雪の中をかき分けて持参
してくださる方がおられますので、毎年舌鼓を打って春を楽しんでおります。
下より上を君と呼ぶ時代ですが、又は夫が妻を、親が子を、親しく思う余りに
我より下の人をも君と言いし頃の歌。君とは一体誰のことだったのでしょう?

さて、この季節蕗、蕨、ぜんまいと冷凍や水煮のパック詰めでは味わえない旬
の山菜が出回ります。正に「千金の味」。

所変わって中国の女怪と呼ばれた西太后の毎食には百種類の料理が必ず用意さ
れました。といっても食べるのはほとんど決っていましたし、宦官が奨めるも
のを食べているのですから中には手抜きや、味見もしない飾り物も多かったと
か。しかし中でも彼女のお気に入りはアヒルの水掻きの塩水漬けとアヒルの舌
のスープ。あのおばあさんがアヒルの舌がぷよぷよ浮いたスープを啜っている
光景を想像するだけで・・・・・日本の食文化とは大違いですね。

「25 蘭」

最近の若者はジューンブライドがお気に入りとか。でも日本の結婚式は春が似合
うように思えます。

さて結婚式といえば近頃は、豪華な雰囲気を作りだすために蘭の花が使われるこ
とが多いですね。又、蘭は新郎新婦の胸元や髪、ドレスを美しく演出します。蘭
は英語ではオーキッドと言いますが語源はギリシャ語のオルキスから出ています。

オルキス、それは、何と、睾丸。蘭は塊根ガ二つあり一つから花茎を伸ばして花
が咲きます。二つある塊根が睾丸にそっくりな為とはいへ、催淫作用があるとされ、
それから作られた「サループ」という飲み物は媚薬として売られたそうです。

一度でいいから、「サループ」の匂いを嗅いでみたいと思っているのですが、な
にはともあれ、それを知っての後、式場で蘭の花を見るたびに特に新婦の胸や髪
を飾っているそれを見るたびに、思わず「オ〜」とつぶやいてしまう私です。何事
も考えすぎる私の妙なクセでしょうかね。

「24 落花生」

初夢、初詣、では初食べは・・・?中国のお正月は何処の家でも甘いものが出ま
す。
左党も断れません。苦労の苦と書いて苦いと読みますからその反対の甘いを口に
して苦から逃れる縁起かつぎのようです。また、甘言(上手い言葉でだますとい
ったかんじですが、)と言ったり「甜言蜜語・てんげんみつご」という上手な言
い方もありますが、どちらにしても出世やお金儲けには大事なテクニックという
こともあり甘いものを食べるのだろうと言われています。

その甘いものの中でも落花生のぜんざいは有名です。花が落ちて実がなるように
見えるので落花生と書きますが、落ちるのを嫌い、またこれを毎日食べていた尼
さんの容貌衰えるを知らずという記録もあり長生果とか花生肉とか呼ばれます。

南アメリカ原産のこの豆は清代に日本から帰った僧応元が栽培を始めました。
それ以前に中国で書かれた薬草の本「本草綱目」には載っていません。どうして
これを日本では南京豆と呼ぶのか不思議ですねえ。
何はともあれ今年は花生肉パワーで頑張りましょう。

「23 牡丹焚火」

この一年に最も話題を呼び、世相を反映した言葉に贈られる「98日本新語・流行
語大賞」に12月1日、横浜ベイスターズの佐々木投手を表現した「ハマの大魔神」
をはじめ「だっちゅーの」「凡人・軍人・変人」の三つが選ばれました。

上記に関係なく、最近日本語が乱れていると言われていますが、言葉は常に変わっ
ていきますね。ベルリン五輪の200メートル平泳で、日本女性初の金メダリストと
なった前畑秀子選手の実況を伝えるラジオ放送で、

「前畑がんばれ!前畑がんばれ!」

と何度も夢中で応援したアナウンサーは「がんばれ」が下品な言葉として注意を受
けたそうです。しかし今ではスポーツ史上に残る名放送とされていますし、高貴?
な方々も普通に使われているようです。

しかし、日本人として忘れたくない言葉はいっぱいあります。たとえば昭和の初期?
に季語となった「牡丹焚火」(ぼたんたきび)があります。季語は誰かが優れた句
を作れば季語となりますが、花のない冬、牡丹の枯れ木を焚き、その独特の香りと
青白いような炎の色を愛で、五月の頃に絢爛と花咲く牡丹に思いを寄せるとのこと
です。

火の奧に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨

素朴な伝統行事がマスコミ受けするようにと変化したり、古人が大切に使ってきた
言葉も「そんなもの知らん」「どうでもいいちゅーの」という一言で消えていくの
でしょうか。

「22 ジャム」

「故に戦争は威力の作用にしてその要は敵をしてわが意志に屈服せしめるに在り」
                                『戦争論』
オオ!怖い!
でも、戦争はジャムも作り出しました。ナポレオン戦争で保存食の必要に迫られた
フランス政府が、褒賞金を付けて募集したところ、菓子屋のアペールはたくさん取
れた果物を砂糖に漬け込みながら、広口ビンにその果物を入れ加熱すると発酵を防
ぎ長期保存できることを発見しました。

(フランス語でジャムは漬物といいます)

かくしてジャムはフランス政府のみならず各国に広がり、各家庭の味まで作り出し
ました。西洋の「おふくろの味」はジャムの味と言ってもよいのでは。

『易経』に「窮必通」(窮すれば必ず通ず)という言葉があります。やはり何事も
窮しないと真剣に物事を考えないようですね。バブルの時は誰も真剣に経済のこと
を考えなかったように‥‥。

しかし、行きづまると必ず、それを切り抜ける方法が出てくるというのも人間の力
ですかね。戦争は「悪」とはいえ、いろいろなものを作り出しました。

「21 仲秋の名月」

「蒙古人を殺せ」
と書いた手紙が今から約六百年ほど前、饅頭(まんじゅう)の中から出てきまし
た。後に「明」の皇帝となった朱元璋(しゅげんしょう)は、圧政を強いる「元」
から漢民族に政治を取り戻すための蜂起の時、同志の菓子屋に丸い月の形をした
菓子を作らせ月餅(げっぺい)と名付け、月のお供えとして同志の各家に届けさ
せた。

餡(あん)の代りに、
「仲秋節にこの月餅が切られる時、漢民族は立ち上がり蒙古人を殺せ」
と書いた伝令の紙を入れた。

その後、仲秋節に月餅を贈りあうことが習慣となり今も続けられています。しか
し、月餅が売られるのは仲秋までで、その後は店頭から消えるそうです。

最近は毒物混入という不気味な事件が社会を騒がせて、ニュースはもっぱらその
関係のものばかり。時は仲秋の頃、中国をまねして私たちも気分転換に饅頭のプ
レゼントをお互いにやったらどうでしょうかね?

餡(あん)の代りに貴方なら何を入れますか?

「20 女はおしゃべり」

最近エストロゲンというホルモンが、更年期障害や成人病の予防に効果がある
ことがわかってきました。
これは男女の性差や大脳中枢にも関り、ことに言語の習得に女性が優れている
のもこのエストロゲンのせいだとか。

女はおしゃべり、ゴシップ好きとよく言われますが、ゴシップの語源は、
『神様がお遣わしになった育ての親』
という意味で、女性のことを指しているそうです。
その特色の一つが”話す”ことで子供を育てる元となっています。

これが変化して、うわさ話と言うようになったそうです。女はおしゃべりとい
う人がいますが、女はおしゃべりなのではなくて、神様の意のままに生きてい
るだけなのだと思えば、くだらない話に夢中になって”話す”姿を見ても少し
は憐憫の情をもって見守っていられるのでは?

ご、ごめんなさい!そういえばキリストさまや、お釈迦さま、孔子さんを生ん
でくれたのもみんな女性だったのですね。しかし、そよそよと、春風のように
爽やかに心地よい話をする女性は少なくなりましたねえ。

あっ!私もしゃべりすぎたようです。

「19 環境問題」

地球から緑が減り、生態系が破壊されつつあることは良く知られています。
飛行機が飛ぶ度にオゾンはどんどん減り成層圏のオゾンが1パーセント減
るごとに皮膚癌が4パーセント増えるそうです。

その上、美味しい肉になる牛の出すガス、季節外れの食物を作るための乱
開発や農薬、遺伝子操作、排気ガス、焼却炉の煙。もう枚挙に暇がありま
せん。

地球がもし話すことが出来たら何ということでしょう。

ソウダッ!地球に優しくと何時も思っている皆さん!
また、その事を人々に訴えている皆さん!

今日からは乗り物は自転車、運搬は大八車、三度の食事は薪でつくり、食材
は自分で作る。

もう残された道はこれしかありません。地球を守るために、頑張りましょう!!!
ん?しかし、我が排泄物はリサイクルで・・・?しかし、困ったなあ!

「18 風呂」

「夕涼み よくぞ男に生まれけり」・・とありますが
最近では男女を問わずでしょうねえ。日本人の風呂好
きは有名ですが、古代ギリシャ人もお風呂好き。

でもそれは体操の後、水などを体にかけることによっ
て気分爽快になるためとか。古代ローマ人の風呂好き
も有名ですが、淫蕩の場に変化していったのは日本と
同じ。

さてさてヨーロッパとなると、
「ヨーロッパ 洗わずじまいで1000年」といわれる
ほど。殊に修道院では何かの罰として入浴させられま
した。
その他はほとんどが病気治療のためくらいで、19世紀に
なってやっと体を清潔にするため定期的に風呂へ入るよ
うになりました。

以上潔癖な人として知られるエリザベス女王は、月に1回
風呂へ入った人として歴史の書物に明記されています。
暑いおりから、む、む、む、むさくるしい話しでごめん!

「17 自殺」

茫々としたるこころの中にゐて
  ゆくえも知らぬ遠のこがらし  斎藤茂吉

若者の自殺や犯罪が増えています。原因が不明と報道
されるこの人達の心の中にはキット木枯らしが吹いて
いたのでしょう。性格は無口でおとなしい、地味で
真面目、物静かで山歩きが好き、などは丸で欠点のよ
うに言われ、人を組織し、せわしなく歩き回り、大声
で話し、目立つことが良いことのように言われます。
自分の性格を殺し、他に合わせているのならさぞ苦し
いことでしょう。協調して生きて行く為とはいえ、
心の自由まで失いたくないものです。

「16 一年」

かなしきは人間のみち牢獄(ひとや)みち馬車の軋
(きし)みてゆく礫道(こいしみち)

これは明治四十五年隣家の婦人と恋に落ち姦通罪で訴
えられた時の北原白秋の歌です。
取り調べで婦人は、
「なぜ男が妻以外に女を作り罰せられないのに女だけ
が罰を受けるのか」
と言いました。悪いことであることを知りつつ犯すこ
とと、知らずに犯すこととは大変な違いだと思います。
法律は民意を取り入れ変化してゆくものですが、法律
以前に良心として悪いと知りつつ犯しながら見つかっ
たからといって運が悪かったとか、みんながやってい
るじゃないかというのはどうも・・・・・。

君かへす 朝の敷石さくさくと
           雪よ林檎の香のごとくふれ。

情あふるるは、やはり文学。でも法律や世間の目があ
ればこそ。これからはこんな恋愛は望めなくなるので
しょう。なにしろ最近の若者は長く続く恋愛がしたい
と言いつつ、その長さのスタンスが1年は続いて欲し
いのだそうです。ほんのちょっと前までは君といつま
でも、死ぬまでいっしょ、と「歌」にまで歌ってきた
のに。

「15 卒業」

「もうそんなこと卒業よ」トカ、トカ。色々な時に卒業という言
葉を使いますが、やはり多いのは「学校を卒業する」でしょう。
英語ではコメンスメントと言いますがそれは開始を意味します。
映画で有名になった「卒業」の原題はザ、グラデュエイトで単位
を取得することです。そこから人生の単位を取り自分を始めると
いう意味で題が付けられました。日本語の了えるとでは全く意味
が違ってきます。

しかし何と言っても人間と生まれた私たちにとって人間稼業の終
止符が「卒業」の集大成ではないでしょうか。真の卒業は死ぬま
でないのですね。

この前、所用で或る女子大にお邪魔したのですが、折しも卒業シ
ーズン。お尋ねした研究室にはひっきりなしに論文提出の女子大
生諸君が出たり入ったりでした。印象に残った一言は、

「せんせ〜い!先程提出しました私の論文の題名って一体何でし
たっけ。もう一度見せて下さ〜い。」

人の経歴には必ず卒業がつきます。学歴とはいえ大学を中退すれ
ば高卒となります。学歴はそこで何を学んだかには関係ありませ
ん。

しかし、卒業したという特別な権利を手に入れることは出来ます。
世の中はレッテルで人を見分ける習慣がありますから、日本酒の
ラベルではありませんが、吟醸よりも大吟醸を貼ってもらった方
が、自慢の度合いが違うわけです。もっとも、私個人の好みから
いえば、あのプンプン臭う大吟醸よりも普通の酒に魅力を感じて
いるのですが‥‥。

今の大学は入れば卒業できます。遊ぶことも出来ます。たまに単
位不足などで卒業できないとわかると怒りだします。不思議な国
となりました。

「14 うぐいす鳴かせたことも‥‥」

出世魚といえば鰡(ボラ)、鱸(スズキ)、鰤(ブリ)など名前が変わる事で有
名ですが、出世鳥と言う呼び名はあまり聞きませんね。ところが卵からかえって
3日目から11回も名前の変わる鳥がいます。

3日目クシ、4日目コハリ、5日目オオハリ、6日目サキシラミ、7日目サキビ
ラキ、8日目コイチョウ、9日目オオイチョウ、10日目ブットウ、11日目ダ
チ、その後はズウ〜ット「ウグイス」です。

京のみやびな人たちにとってウグイスが日に日に鳴き方を学んで上手になってい
くさまはことのほか気に入ったようで、このようになったらしいのです。
ウグイスといえば梅と結びつくと恋を意味し、

「あたしゃうぐいす、主は梅」

などと端唄にもあります。また、

「うぐいす鳴かせたこともある」

を読んでにんまりされる方もおありのことでしょうが、この意味のわからない世
代が多くなってきました。そう言うのに限って自分の言葉で話したい、とか自分
らしい表現がしたいとかのたまう。

考えてみれば今自分の言葉といって会話をしているこの日本語も結局私たちの先
人がどうしてもわかって欲しい気持から出来上がってきた日本語であり、これが
なかったらウンコがしたいも、腹が減ったも理解されない。結局言葉はその人が
どれだけ人の言葉に耳を傾け、また本を読んできたかに罹ってくるような気がす
るんですよね。
「君ととも過した日々・・・・・」「君の吐息が・・・」とごちゃごちゃ言うよ
り、
「うぐいす鳴かせたこともある」
で聞き手の一人一人がなるほどと思う。そんな「粹」が消えていくのが残念です。
坊さんがこんなことまで言わなきゃならないのは、世も末じゃ!。

「13 真実」

「一年の計は元旦にあり、‥‥そうだ、今年から日記をつけよう」
と始められた方、続いていますか?
日記は誰かに見られるといけないので他人の悪口や本当に思っていることは書け
ない、と云う人がいます。時々○○さんの日記が見つかったとして発表される物
にも事実でないことが記載されていることがあります。

自分は正しいと思って書いたのか、ひょっとして後世の人の目に触れることを意
識して書いたのか・・・。安土桃山時代の資料として一級とされる公卿の日記の
中には権力者が変わる事により記述を削ったり書き改めたものがあります。中で
も特筆すべきは明智光秀と親交のあった兼見卿で、彼は本能寺の変に驚いて天正
十年(1582)正月から半年分の日記(「兼見卿記」)を書き改めています。

作家の中野孝次氏は「私の生活作法」の中で文士の分類として、大岡昇平氏を洋
服派としたところ、澤地久枝氏から「あの方は着物を自然に御召しであった」と
指摘を受けた。

『そういえば着物姿をグラビアで見たことがある。自分がお会いしたのは成城の
おたくであった。大磯から成城へ転居されてから洋服派になられたのであろうこ
とに気付かされた。自分が成城での大岡氏を知っていたから単純に洋服派に分類
したことを反省している。』

と書かれています。一体「真実」とは何でしょうねえ。

私の口ぐせは、
「和尚さん、和尚さん、あれは絶対、本当です。私がこの目で見たんですから、
間違いありません。」
という人があるけれど、
「だから、信じられんのじゃ。」・・・・と。

むむむむむううう。今年もいろいろ考えなくてはならないことがいっぱいのよう
ですね。

「12 歳月は人を待たず」

「盛年(せいねん)重ねて来らず、一日再び晨(しん=あした)なりがたし、
時に及んで当に勉励すべし、歳月は人を待たず」
と陶淵明が詠っているように、時間はどんどん過ぎ去って行くから、今この
時にこそ、一所懸命がんばって勉強しなければ、と言う人がいます。なるほ
ど、いかにも正しい道を説いているかのように見受けられます。

然しこの詩の前半には、人の命は木のように根やヘタも無く風に舞う路上の
塵と同じで、生まれた時から確かな事は何も無いのだから、嬉しい時には共
に楽しみ酒があれば近所の者と共に飲もうと詠まれています。これこそが、
中国四千年の知恵。今を楽しめない者は、未来永劫にわたり楽しめないので
す。明日がわからないこそ、今の生を充実させようということです。将来の
ために勉強するのじゃない。今を楽しむために勉強するのです。いやいやな
がら心にもない努力を積み重ねても、心がねじ曲がってしまうだけ。

キリスト教の最後の審判ではありませんが、神の裁きの前で、

「私は、将来のために一所懸命に自分を殺して生きてきました」というより、

「私は、私以上でもなく以下でもない充分に私自身である人生を送ってきま
した」

と言えれば、何も恥じることはないはず。

充実した人生は、何も努力によってしか得られないのではありません。ちょ
っとだけ自分の肩の力を抜いてみれば、ラク〜に生きられるのですよ。

・・・ん?これはいつも私がやっていることではないか!お〜恥ずかしい!
(私は飲兵衛で、なまけ者ではありませんからね)

「11 エウレカ、エウレカ」

「エウレカ、エウレカ」(わかったぞ、わかったぞ)と叫びながら裸の男が
ギリシャの町を走っていきました。町の風呂屋でお湯があふれるのを見て、
有名な「アルキメデスの原理」を発見したのです。人は突然、大発見をする
ことがあります。普段は当然のこととして誰も気にしないことを‥‥‥‥。

これが宗教的な開眼となると、なおさら他人には理解不可能な心境でしょう。
お釈迦さまは明けの明星(金星)がキラキラ輝くのを見てこの宇宙の真理を
徹見されたといいます。しかし、それはお釈迦さまにしか解らないことです。
われわれ凡人が冬の夜空に輝く金星を見ても「あ〜きれいだなあ」で終って
しまうのが普通ではないかと思います。

最近亡くなられたマザーテレサは夜行列車に乗っている時、神の啓示を受け
てゆるぎのない信念のもとに活躍をされました。どういう啓示だったのか、
知るよしもありません。しかし、こういう事実が数多く残されていることも
また、いろいろな伝記や語録などを見ることによって確認されます。

一つ例を挙げると、
唐の時代の香厳(きょうげん)和尚は師匠に、
「お前さんが生まれてくる以前」
の一句を言え。と、問われて正直な香厳は何も言うことが出来ませんでした。
師は烈しく責め立てます。とうとう香厳は、自分は禅宗坊さんとしては縁が
ない鈍器であると思い、有名な禅師の墓掃除をして一生を送ろうとお寺を去
ります。

香厳は、ある日掃除で集めたゴミを竹やぶの中へポーンと捨てました。そし
たらゴミの中の石ころか何かが竹に当たり、カーンという音をたてました。
その音を聞いたとたん、香厳の目から涙がポロポロとこぼれ落ちました。香
厳は生まれてくる以前の一句を天地一杯に聞いたのです。

最近はこういう心境を心理学の分野でも研究されていて、こういうのを、
「深い感動を伴う自己認知」というのだそうです。
ボケーッと一生を送るもよし、あくせくと働くもよし、どの道を歩んでもい
いのですが、「深い感動を伴う自己認知」なるものを経験したいものですね。

「10 ギンナン」

ギンナンが店先に並ぶようになりました。ことわざに、

「桃栗三年柿八年ユズはすいすい十三年」

と言いますが、ギンナンはおじいさんが植えた木が孫の代になって、
実がなるといわれるほど時間がかかりますので、「公孫樹」と書か
れます。

聞くところによると花は真夜中に咲いて二時間くらいで散るために、
ほとんど見ることはないそうです。実は大きなイチョウの樹が我が
道樹寺にもありますが、未だ見たことがありません。真夜中は寝る
時間に決まっていますので、なんら恥ずかしいことじゃ‥‥‥ない!

閑話休題!

薬としてもいろいろな薬効があり、生でミキサーにかけ湯と砂糖を
加えると「利尿剤」になります。焼いて食べると、子供たちのおね
しょがぴたりと止まる「夜尿症に効く」薬となります。また栄養価
も高く、咳止めや腎臓病にも効果があるらしいです。

そんなことより何より、あの〜その〜やっぱりお酒のつまみが一番
じゃなかろうかと思う次第です。酒を呑んで、ついでに体の調子を
調えるということは素晴らしいことです。ハイ。

「7 不倫と貞淑」

「貞淑であることにあきあきしていない貞淑な女はいない。貞淑な女は稀である」

とラ、ロシュフコーは書いています。

不倫小説「失楽園」は映画にテレビにと大流行。しかし、世も末じゃとお嘆きめさ
るな。時代を遡(サカノボ)れば、花のお江戸は女日照りの不倫大流行。不倫代金
すなわち間男詫(ワ)び料も、初期には十両、下ってはお芝居でおなじみのように
七両二分と決めねばならぬほど。歌舞伎で心中物がはやれば心中願望が続出する始
末。「失楽園」がはやれば不倫願望が続出と、、、。

はてさて男と女、いつの世もこりもせず、にぎやかですなあ。では、紳士淑女の国
イギリスや如何にと問えば、「ジェーン、エア」という本が馬鹿売れした時はヒロ
インを真似て醜男と結婚することがはやったとか。しかし、われわれ金も名誉もな
い一般庶民はさすがレディ、ダイアナのまねはちょっと、、、?

でもね、男性がムラムラしたり女性がドキドキする、あれもこれもよ〜く考えてみ
れば、元はといえば男性ホルモンや女性ホルモンのいたずらもしくは、なせる技だ
とは思いませんか?

ある、有名な禅宗の和尚さん(もちろん独身)は夏の暑い盛りに行水をしていて、
急にお客さんが来たのにもかかわらず、ゆうゆうと一物をブラブラさせて、

「タカラのもちぐされじゃあ〜」

と言って、着物を着たそうです。アッケラカンと爽やかに生きたいものですね。

「6 通ずれば久し」

大賀博士により二千年の眠りから覚めた蓮(ハス)があち
こちで開花しています。蓮はタネを自分で飛ばしたり、鳥
や昆虫により運ばれたりすることもできず、親の足下に落
ち、翌年そこから芽を出しますが、雨が少ないと干上がり、
芽が出ません。そのままず〜っと眠っていたのが大賀蓮
(おおがはす)です。

博士のまいたタネは、四日後に二ヶが発芽し翌年開花しま
した。蓮ばかりでなく、砂漠の植物の中には、五年も六年
も雨を待ち、発芽するものがあります。一度に十分な水を
吸えば、一年間水なしで生きられるように変化したサボテ
ンもあります。困り果てて生きる知恵が出てきたようです。

私たちはよく「窮すれば通ず」と言いますが、それは易経
(えきぎょう)という中国の古い書物の中に出てきます。

「易窮則変 変則通 通則久」
(易は窮すれば変ず、変ずれば通ず、通ずれば久し)

と易経(えきぎょう)・繋辞(ケイジ)下に出てきます。
人生に行き詰まらない人はあまりいません。必ず困り果て
る時が来るのが人生というものです。しかし、そういう時
に逃げる方法もありますが、がっぷりと四つに組んで、じ
っくりと苦しんでみるのも案外道が開ける選択肢ではない
でしょうか。「通ずれば久し」です。

「5 三本の矢」

島国日本と言われますが、古来より中国,朝鮮を経て遠い
西域との交流がありました。異国の文物を取り入れて、咀
嚼(そしゃく)しそれが日本固有の物と言われるほど練り
上げ、自分たちのものとしてきました。

日本史上、三代西洋ブームと言われるものに戦後のアメリ
カブーム、明治の舶来ブームそして南蛮ブームがあります。
この南蛮ブームの時には鉄砲やキリスト教のみならず印刷
機械等様々な物がもたらされ本も数々翻訳されました。

そんな中に「イソップ物語」もあり、「伊曽保物語」とし
て翻案されました。最近テレビで有名な毛利元就が三本の
矢を束ねて与え、団結を説いたのも実はこの「伊曽保物語」
つまり「イソップ物語」でした。毛利元就はやはりただ者
ではなく、異国文化を上手に取り入れていたのですね。学
んだものを我がものとして生かさなければ、学ばないのと
同じことではないでしょうか。

「4 日本人?」


最近、恐ろしい事件が多発しています。どうしてこんなことが
起こるのか想像もつきません。

日本の平安末期から中世初頭にかけては、「武」と「雅」は常
に相反するものでした。王朝貴族に倣って和歌や管弦に「雅」
をみつけた平家に対して源氏は、弓や馬、剣など武芸のほか自
分たちの文化をもちませんでした。歴史の中で日本人が「武」
と「雅」を兼ね備えるためには長い時間を必要としました。そ
の中で徳川幕府の取った政策は、今日日本文化と呼ばれるもの
の基礎を作ったといわれます。

最近亡くなられた作家、藤沢周平氏の著作『漆の実のみのる国』
が良く売れているそうです。主人公の上杉鷹山を語る時、主人
に忠誠を尽くす家臣たちとの心の交流の美しさは、現代の私た
ちが失った公に殉じる人間関係の美しさをあらためて思い知ら
されます。封建社会であった日本は、貧しい暮らしの中で美し
い人間関係を育んできました。

しかし、富国強兵を国家の理想とした明治以降、日本人はその
関係を失っていきました。明治以降の近代日本は、物を作って
人を作らなかったと言われます。

今、私たちは物の氾濫する中で、時代に左右されることなく、
人として生きる本当の人間関係を作るにはどうしたら良いのか
一人一人が、腰を落ち着けて考える時だと思えます。

『3 鼻水たらたら』

『ヴオーン』

と、とフランス人の鼻をかむ音はすごいとか。
鼻の構造に関わっているという説も・・・

ルイ14世の宮廷には新大陸からいろいろな珍品が続々と上陸、
その中の一つがタバコです。煙の出るタバコは空気を汚し、痰(たん)
を吐くと嫌われましたが、嗅ぎタバコはくしゃみの原因となり
大歓迎。

アリストテレス以来くしゃみは吉祥とされ、また体液の循環を
良くすると、嫌われるどころか喜ばれ、上品なくしゃみの仕方
の本まであったとか。

そこで登場するのがハンカチ。それも輸入珍品のインド更紗(さらさ)
のハンカチを鼻元に優雅にヒラヒラヒラヒラ。

なんとそれまでは手で鼻をかんでいました。王侯貴族がですぞ!
最近は様々なアレルギーでくしゃみ地獄、鼻水たらたらの人が
多いようですが、フランス貴族を真似てすてきなハンカチで優
雅にヒラヒラ、ヴオーンとやってみるのも気分転換に良いかも。

尤も、私は九州の佐賀の百姓のせがれ、幼少の頃はあっちの畑
でブビー、こっちの田んぼでブビーと素手で鼻をかむ人がいて、
別に驚かなかったもの。チリ紙を使う人でも何回も懐(ふところ)
にしまっては乾かして使っていた。

現代はお上品になりすぎて、自分の身体をもてあます方が多いよう
で、人間には目くそ、鼻くそ、耳くそ、歯くそ、よだれに、大小便
ゲロに、あぶらあせ等々次から次へ出てくるものだと見極めれば、
気が少しは楽になりますぞ。


『2 ふなじゃ、ふなじゃ』

『ふなじゃ、ふなじゃ、ふなざむらいじゃ』
というセリフはご存じ「仮名手本忠臣蔵」の名セリフです。
歌舞伎のアメリカ講演に際して、このセリフをどう訳する
かが問題になりました。ふなざむらいとは田舎者という軽
蔑(けいべつ)の意味を込めていう言葉ですが、アメリカ
では、田舎に住んでいるということがあまり軽蔑の意味に
はなりません。価値観にずれがあるからです。

いろいろと思案してカープさむらいにしてはという意見が
有ったそうですが、魚の種類をあまり知らないアメリカの
社会ではカープ(鯉)という魚の名前を言ってもあまりピ
ンとこないそうです。そこで、おたまじゃくし(未熟者)
なら具合がいいということで、
『おたまじゃくしじゃ、おたまじゃくしじゃ、おたまじゃ
くしざむらいじゃ』
ということに決定したそうです。アメリカの人の経験では
その言葉が一番合うと判断したからです。

私たちは自分たちが経験してきた価値観だけをたよりに他
人の評価や、好悪を決めます。現代の日本では自由な発想
や表現が許されていますが、果して真の自由な人はいるの
でしょうか?ややもすれば利己的な自分だけの自由にしが
みついている人が多いのではないかと思います。自由とい
うことは自分以外の他人の存在を視野に入れた「思いやり」
という心があってはじめて自分が自由になれるのではない
でしょうか。気まま、勝手、個性的、ということと自由と
は違います。

最近、中東のある国で日本人が素っ裸になり大道芸を披露
したら、彼の国の人々を怒らしてしまったそうです。こう
いうことは自分の価値判断が正しいという思い上がり以外
には考えられません。人々は
『ふなじゃ、ふなじゃ、ふな日本人じゃ』
と言ったとか言わぬとか。


『1 新しい出会い』

奈良の薬師寺の塔が完成した時、大勢の人が、古都にふさわしい
「わび」「さび」がないと言いました。

”あおによし、ならのみやこの……”

と歌われた時代、奈良は昭和に出来た塔と同様に極彩色の建造物
が立ちならんでいたのです。
「わび」「さび」などはごく近い時代の言葉と言えます。

このように私たちは歴史を見る時、現在の尺度で計りがちです。
それは、とりもなおさず、自分の尺度に他なりません。

新しい出会いの多い四月、
「あいつはダメだ」
と聞かされた時、それはその人が、
「あいつを単に嫌い」
ということもあり得ます。
先入観にとらわれず、自分の目で確かめ、新しい出会いを楽しみ
たいものです。


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