すこしばかり変わった傾向のお話をどうぞ



ゲシュタルトの祈り

   私は私のことをする。お前はお前のことをする。
   私は何も、お前の気に入るためにこの世に生きて
   いるわけじゃない。
       そして、お前も、私の気に入るためにこの世にい
   るわけじゃない。
         お前はお前、私は私。
         もし我々が、お互いに出会うなら、そりゃあ、すば
   らしいことだ。
         もし、出会わなかったなら、そりゃあ、しかたのな
   いことさ。


         この祈りはドイツの放浪の精神科医と言われ、半分聖人、半分ルンペンとも呼ばれた、
    フレデリック・S・パールズ(Frederick S.Pearls)先生によって提唱された詩である。
    他者へのしがみつき、他者を操縦しようとする努力を未成熟の兆候として徹底的に排除
    し、自立、自律性、自己責任の確立を目標とした。そのために、「今、ここ」の気づき
    の「体験」の重要性を主張した。それは頭で考える観念論的な体系化を否定し、
    「今、ここ」で直感的につかむものである。ゲシュタルトとは「全体性」または
    「全体のかたち」ということである。
 

      #人間が生きていく上で言葉は重要な役割を占めるが、また言葉ほど頼りにならないものは
    ない。例えば、怒っている生徒に、先生が「お前怒っているね」と聞く、生徒は「いいえ」
    と答えるが、「怒っている」という感じは全体像として、誰が見ても明白である。そして
    怒っているのは昨日でもなく、明日でもなく、5分前でもなく、5分後でもなく、
    「今、ここ」で言葉に関係なく、存在していることを確認していく。

       #「〜したい」という人間と「〜するべき」という人間では本質的な違いがある。
    「〜したい」は自分が確立している。「〜するべき」は自分以外のものに縛られている。

       #「なぜ」という質問は相手に想像の答えを強いる。子供が窓ガラスを割ったとする。理由
    をいくら述べても大して役に立たない。割れたものは割れたのである。そこで、「なぜ」
    を「どのように」におきかえてみる。「どのようにしてそれは起こったか」という質問に
    は事実が返ってくる。

       #「〜できない」という言葉を嫌う。「〜できない」という語は責任をとらないことの表明
    である。大部分の「〜できない」は「〜したくない」と表せば自己責任が明確になる。

       #ゲシュタルトのモットーである「私は私」ということは利己主義ということではない。自
    主性の確立ということであり、利己主義や孤立無援とは違う。自分が自分であるというこ
    とは、必要なことを他者に依頼することや、自発的に他者を愛することを含む。しかし、
    この場合の「愛」とは「しがみつき」ではなく、「私は私」という成熟を目ざしていく。
    人間の成熟性というのは他者が思うように動かないという欲求不満の状態の時、よく観察
    できる。このような場合、成熟した人は自分の能力の限界をよく受容して、いさぎよくあ
    きらめるか、実現可能な方策を探る。未成熟な人は怒ったり、悲しんだり、あわてたり、
    ぐちをこぼしたりする。そして、子供のように、悲しそうな顔をしたり、不安がったり、
    同情を引こうと事実以上のことをいう。

   1 今に生きる。過去や未来でなく現在に関心をもつ。
   2 ここに生きる。眼の前にないものより、眼の前に存在するものをとり扱う。
   3 想像することをやめる。現実を体験する。
   4 不必要な考えをやめる。むしろ、直接味わったり見たりする。
   5 他の人を操縦したり、説明したり、正当化したり、審判しないで、ありのままの自
分を表現する。
   6 快楽と同じように、不愉快さや苦痛を受け入れる。
   7 自分自身のもの以外のいかなる指図や指示を受け入れない。偶像礼拝をしない。
   8 自分の行動、感情、思考については完全に自分で責任をとる。
   9 今のまま、ありのままの自分であることに徹する。
          『成長のための効果的な方法』-エリック・マーカス著より抜粋

                             出版 チーム医療
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