坐禅とは

ここでは坐禅についてお話しします。

坐禅というイメージはいやだ、いたい、いまさら、といって
3i(サンアイ)を連想される方がおられるかも知れませんが、
そういう方は早くボケがきますよ。

坐禅を組むと医学的にもホルモンバランスがよくなって、健康
な心を養っていくそうです。
たとえば、「脳内革命」という言葉が流行っていますが、あれ
などは、禅宗ではずーっと実行してきたことで、それ自体科学
的にどうであれ、特に珍しいことじゃありませんよ。(著者の
先生ゴメンナサイ!)

よく、坐禅を組むということは無念無想になることだといいま
すが、無念無想って何でしょうね。

無念無想って、な〜んにも考えないこと?
それだったら3月3日にかざる、ひな祭りの人形たちが、よほど
無念無想ですね。それどころか、赤ちょうちんの前に立ってい
るアレ、八畳じきの大きなものを持ってるやつ、アレですよ。
そうそうタヌキ。彼なんか年から年中、無念無想の精神で立っ
ていますよ。無念無想というのはな〜んにも考えないそういう
アホ、(岐阜ではタワケと云います。思いっきり云う場合は、
クソダワケ!です。)のことを云うのじゃありません。
な〜んにも考えないというのとは全く正反対に、考えて考えて
考え抜く!これが無念無想のポイントです。そうすれば思考は
段々と純粋になってきます。この純粋な思考をさらに追及して
いくのが坐禅です。

朝起きて、糞たれて、顔を洗い、食事を取り、なんらかの行動
を起こす。基本的には人間ほとんどの方が同じパターンで生き
ています。しかし、その実態はほとんどの方が惰性で人間をや
っているというのか、

「私はいったい誰?」

ということが解らずに「私」をやっているのであります。その
解らない、根源的な人間そのものを探っていくのが坐禅という
トレーニングなのです。坐禅はあくまでもトレーニングであっ
て坐禅の姿に意味があるのではありません。あれは、心が最も
安定するスタイルだからで、それも禅の一部にすぎません。



だから、禅の最終目標は、坐禅する姿をも含めて、人間が人間
らしく生き生きと生きることができるようになることです。
私が十分に私であることの追及です。

地位や名誉や財産、知識や学歴また男、女などという区別や差別
を越えた宇宙の中の尊い私を自覚する方法です。
だまされたと思って一度挑戦されるとなかなかいいものですよ。


ふむふむ。やっぱり足が痛いのはイヤ!話だけにして。

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道樹寺 江口 潭渕(たんえん) dojuzi@ktroad.ne.jp